宋の四大家とは? わかりやすく解説

宋の四大家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:24 UTC 版)

中国の書道史」の記事における「宋の四大家」の解説

北宋の書 戦乱荒廃した北宋初期文化は、五代十国の人たちによって移入された。第2代皇帝太宗書道の師の王著と、宋初期第一書家といわれた建中は、ともに後蜀からきた人で、『説文解字』を校訂し徐鉉南唐からきた人である。はじめは唐の模倣による保守的な書風から始まったが、第4代皇帝仁宗の頃から革新的な動き起こり顔真卿や楊凝式を基盤とした独創的な書家生まれた。その代表が宋の三大といわれる蘇軾黄庭堅米芾であり、これに蔡襄加えて、宋の四大家とも称す。 宋の四大家 蔡襄 仁宗の頃、宋朝第一書家称せられ、その書は行草の各体をよくし、行書が最も優れ小楷がこれに次いだ概して伝統派本格的な書を書いているが、大字顔真卿書風であり、宋の顔真卿とも称された。また、その中に宋代豪放縦逸な書風先駆をなすものを含んでおり、蔡襄出現が後の革新的な宋の三大家を生む素地となった。なお、本来の四大家蔡襄ではなく蔡京との説もある。 蘇軾 中国第一流文豪であるが、書にも一見識備えた。書は二王からはじめ、のち顔真卿李邕学んだ行草をよくし、特に大字筆力を見る。書の中に人間性確立し他人の書を模倣することを排し技巧よりも独創性尊んだ。この説は師の欧陽脩から出て、さらにこれを徹底している。蘇軾黄庭堅米芾より少し先輩であったため指導的な地位にあり、特に思想的に彼らに与えた影響大きい。蘇軾顔真卿革新的な立場理想とし、黄庭堅米芾はこの考え発展させた。 黄庭堅 蘇軾人物尊敬し、その門で書を学び晩年には張旭懐素・高閑の草書学んだ黄庭堅は、「書に最も大切なものは、魏・晋の人の逸気、つまり法則とらわれず自由に心のままに表現することであり、唐の諸大家法則とらわれてこれを失ってしまった。張旭顔真卿至ってこの逸気再現した。」と言っている。黄庭堅代表作の『黄州寒食詩巻跋』は、蘇軾の『黄州寒食詩巻』の跋であるが、跋というよりも蘇軾の書と妙を競っているような感があり、傑作とされている。 米芾 書画うまかった上に鑑識優れたため、第8代皇帝徽宗書画研究およびコレクション顧問となり、非常に重く用いられた。その鑑識眼中国史上最高といわれるまた、自らも収蔵し臨模巧みで、晋唐の名跡をよく臨模した。彼の作った摹本は原本区別することができなかったという逸話がある。顔真卿欧陽詢柳公権褚遂良学び、後に二王らの晋人を深く研究したが、彼ほど古典徹底的に研究した者は稀である。書画についての著書残し今日でも王羲之唐人真跡研究する上で最も重要な参考資料となる。三大家の中彼の書は実力の点で最も優れている蘇軾黄庭堅米芾三家共通点は、唐以来技術本位伝統的書道退けて創作主とする書芸術を打ち立てたことにあり、これは明・清以後近代書道方向を示すものとなった。 『黄州寒食詩巻』(蘇軾書、右)とその跋(黄庭堅書、左)

※この「宋の四大家」の解説は、「中国の書道史」の解説の一部です。
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