宋の宮室
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:53 UTC 版)
宋代は、皇太后や皇后が皇帝に代わって政治を司る垂簾聴政がときおり行われ、かつ安定的に運用されていた。たとえば、章献太后劉氏は仁宗のもとで政治を執行し、その死後には仁宗の皇后の曹皇后が引き継ぎ、英宗のもとで垂簾聴政を行った。宋代の垂簾聴政は必ずしも幼い皇帝に対してだけではなく、皇帝が成人して即位した場合にも行われ、彼女たちは一種の摂関政治を行っていたといえる。 このうち章献太后劉氏はもとは孤児の旅芸人であったが、真宗がその魅力と才能を見て引き抜いた女性である。真宗の皇后になる際にはその卑しい出自から大臣の反対を受けたが、数年後に皇后となり、夫の死後、彼女を母と信じていた仁宗のもとで権力を握った。彼女は11年間(1022年 - 1033年)にわたって垂簾聴政を行い実権を握っていた。司馬光は、彼女の非道徳的な行いを批判しながらも、その治世が安定したもので平和をもたらしたことを評価している。
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