文化人としての評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 07:18 UTC 版)
蔡京には文化人という側面がある。彼は書道の達人であり、宋代の蘇軾・黄庭堅・米芾と合わせて四絶と称された。しかし蔡京は人柄に問題があるとして、宋の四大家には彼の同族の蔡襄が代わりに数えられている。他にも絵画や文章・詩なども巧みな才人であった。これらの素養が風流天子などと称される徽宗と馬の合った理由ではないかといわれている。 なお、蔡京の書に関しては、石川九楊が「とめ、はね、はらいが上手く出来て居ない」と酷評するなど、現在では高い評価が与えられていない。現在の書道史では書家として評価することはほとんどなく、作品の評すら上掲石川評以外には最近では存在しない。逆に蔡襄は高く評価されている。 近年、蔡京や徽宗の文化人的要素を重視して、徽宗朝を評価しようという動きが一部研究者の間でなされている。それは如上の政治的な問題とは一旦切り離し、南宋政権との連続‐非連続、及び文化的爛熟といった問題に注目することで、徽宗朝を肯定的に捉えようとする考えである。この見地からは、徽宗朝に中心的な位置を占める蔡京も肯定的に評価しなければならないとされている。
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