文化人としての一面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/06 15:53 UTC 版)
文明14年(1482年)9月、歌人の飛鳥井雅親に師事していたことが伝えられているのを皮切りに蹴鞠・犬追物などを興ずる姿が度々確認されている(『親長卿記』など)。明応元年(1492年)3月には二楽邸での歌会に守護代を引き連れて参加、4月には北野社会所において豊時発句による万句興行を行うなど、文化的教養を身につけることで各方面との交流を深めようとしている。 なお、第一次毛利次郎の乱が終結した後の文明15年(1482年)7月と11月には伊勢貞宗邸での犬追物に参加している。『伊勢家書』によればこの犬追物には毛利貞元(毛利次郎の乱を起こした中心人物)も参加しており、11月の犬追物では両者が競い合うという興味深い光景が見られたようである。
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