宇文部を滅ぼすとは? わかりやすく解説

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宇文部を滅ぼす

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 04:33 UTC 版)

慕容翰」の記事における「宇文部を滅ぼす」の解説

343年2月宇文部の相浅渾が前燕侵攻した前燕諸将はこれと交戦望んだものの、慕容皝は許さなかった。これにより浅渾は敵軍恐れ為していると思いこみ、酒を飲んだ狩猟をしたりして警備怠るようになった。これを見た慕容皝慕容翰討伐命じた慕容翰出撃して敵軍一戦を交えると、これを散々に打ち破って兵卒大半捕らえ浅渾はかろうじて逃げ帰った344年1月慕容皝宇文部討伐のため親征決意すると、慕容翰前鋒将軍任じられて軍の先鋒となり、劉佩がその副将となったまた、慕容軍慕容恪慕容覇折衝将軍慕輿根にもまた各々兵を率い三道分かれて進軍した。これに対し宇文逸豆帰は南羅大の夜干精鋭兵を与えて迎撃させた。慕容皝使者派遣して慕容翰へ「渉夜干勇名三軍鳴り響いている。少し退却した方がよい」と伝えたが、慕容翰は「宇文逸豆帰は、国内精鋭をかき集めて夜干の軍へ配属しました。渉夜干にはもとより勇名があり、国中頼みの綱となっております逆に言えば、彼さえ撃退すれば、宇文部攻撃せずとも自ずから潰れることでしょう。それに、臣は奴ら人となり知っております虚名こそありますが、与し易い相手です。退却するのは我が方士気挫くだけです」と反論し進撃続けた。こうして渉夜干軍と交戦となると慕容翰は自ら陣より出撃して迎え撃った。これに慕容垂傍らから援護行い慕容翰は渉夜干軍を撃破してその首級挙げた。これを見た宇文部兵卒恐れおののき戦わずして崩壊した前燕軍は勝ちに乗じてこれを追撃し遂に都城攻略した宇文逸豆帰逃亡を図るも漠北にて命を落とし、こうして宇文部滅亡した慕容皝五千戸を超える住民昌黎強制移住させた。この戦勝により前燕領土千里以上広げた

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宇文部を滅ぼす

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 20:48 UTC 版)

慕容皝」の記事における「宇文部を滅ぼす」の解説

同月宇文部相国浅渾が前燕攻撃すると、前燕諸将はこれと戦いたがったが、慕容皝は許さなかった。浅渾は敵が恐れていると思いこみ、酒を飲んだ狩猟をしたりして警備など全くしなくなった。そこで慕容皝は「浅渾が大い堕落している今こそ決戦の時である」と言い慕容翰騎兵与えて出撃命じた慕容翰敵軍一戦を交えるとこれを散々に打ち破り兵卒大半捕らえた浅渾はかろうじて逃げ帰った344年1月慕容皝宇文部征伐目論んでおり、左司馬高詡にその是非を問うと、高詡は「宇文部強盛であり、今取らなくば必ずや国患となります。これを伐てば必ず克ちますが、早く動かねば不利となります」と勧め慕容皝早急に攻め取るよう促した。これにより慕容皝騎兵2万率いて自ら出征すると、慕容翰前鋒将軍とし、副将劉佩をつけた。さらに広威将軍慕容軍度遼将軍慕容恪・平狄将軍慕容覇及び折衝将軍慕輿根に兵を与え三道分かれて進軍させた。これに対して宇文逸豆帰猛将である南羅大渉夜干精鋭兵を与えて迎撃させた。慕容皝使者派遣して慕容翰へ「渉夜干勇名三軍鳴り響いている。少し退却した方がよい」と伝えたが、慕容翰は「宇文逸豆帰は、国内精鋭をかき集めて夜干の軍へ配属しました。渉夜干にはもとより勇名があり、国中頼みの綱となっております逆に言えば、彼さえ撃退すれば、宇文部攻撃せずとも自ずから潰れることでしょう。それに、臣は奴ら人となり知っております虚名こそありますが、与しやすい相手です。退却するのは我が方士気挫くだけです」と返し進撃続けて敵軍戦った慕容翰自らが陣を出撃すると、渉夜干もこれに応戦した慕容覇傍らから援護行い慕容翰は渉夜干斬り殺した。これを見た宇文部兵卒は、恐れおののき戦わずして潰れた前燕軍は勝ちに乗じて追撃し遂に都城まで攻略した宇文逸豆帰逃げ出し漠北にて亡くなった。こうして、宇文部滅亡し慕容皝畜産や資貨尽く収め、5千戸超える部族民を昌黎移住させた。また、夜干居城威徳城と改名し、弟の左将軍慕容彪に守らせてから帰還した高詡劉佩はこの戦いで流れ矢に当たり亡くなった。この戦勝前燕領土千里以上広げた前燕宇文部侵攻した聞き後趙石虎右将軍白勝并州刺史王覇甘松より出撃させ、救援命じた。だが、到達したときには既に宇文部滅ぼされていたので、彼らは方針変えて威徳城へ侵攻したが、勝利できずに撤退した。この時、前燕将軍慕容彪より追撃を受け、白勝らは撃ち破られた。 慕容皝龍城帰還すると、飲至の礼(宗廟戦勝報告をして酒を酌み交わす行為)を行うと共に論功行賞行って功績に応じて褒賞与えた慕容翰宇文部との戦いで流れ矢当たってしまったので、しばらく床に伏せるようになり、出仕することも出来なかった。やがて少しずつ傷が癒えてくると、自邸で馬の試し乗りを行うようになったが、これを見た者が慕容皝へ「慕容翰は病と称して家に閉じこもり密かに乗馬練習をしております」と告げた。これは慕容翰を疑わせようとして讒言に過ぎなかったが、心中彼の勇名恐れるようになっていた慕容皝はこれを信じ込んでしまい、慕容翰自害命じてしまった。慕容翰はこの命を受け入れ、自ら毒を飲んで自害した

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