宇文莫珪の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 17:17 UTC 版)
宇文莫珪の時代には宇文部はさらに強盛となった。彼は単于を自称し、塞外の諸部から恐れ憚られたという。 302年12月、弟の宇文屈雲と一族の宇文素延に慕容部を攻撃させたが敗れた。その後、宇文素延は10万の兵を率いて慕容部の本拠地である棘城を包囲したが、再び敗れて軍を退いた。この時、百里に渡って追撃を受け、1万人以上の兵を失った。 宇文莫珪が没すると、子の宇文遜昵延が立った。
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