度遼将軍とは? わかりやすく解説

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度遼将軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 07:30 UTC 版)

度遼将軍(とりょうしょうぐん/たくりょうしょうぐん)は、中国前漢以降の官職である。渡遼将軍(遼水を渡って北族を討つ将軍の意)とも書かれる。

昭帝元鳳3年(紀元前78年)、遼東の烏桓が反乱した際に中郎将范明友が任命され、烏桓を討ったことに始まる。前漢においては范明友が解任された後は確認できない。

後漢明帝永平8年(65年)、降伏した南匈奴で二心を抱く者を監視し備えるために「行度遼将軍事」が置かれ、五原郡曼柏県に駐屯することとされた。安帝元初元年(114年)には辺境に不安が多いことから正式に常設の官とされた。秩禄は二千石、銀印青綬であり、属官に長史、司馬2名が置かれた。

歴代度遼将軍

前漢

後漢

関連項目

参考文献




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