曹操への帰順後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 05:48 UTC 版)
建安5年(200年)の官渡の戦いの際に、閻柔は使者を派遣して曹操に臣従した。曹操から護烏桓校尉に任じられ、関内侯に封じられている。建安10年(205年)に曹操が南皮で袁譚を滅ぼすと、閻柔は鮮卑と烏桓を率いて参上し、名馬を献上した。その後、遼西の蹋頓らを頭領とする烏桓討伐にも従軍し、以降も引き続き寧城で異民族との交渉にあたった。建安年間には、鮮卑の大人軻比能が閻柔を通じて貢物を献上している。 曹操の死後、その後を継いだ曹丕からも、閻柔は重用されている。度遼将軍に任命され、県侯の爵位を授けられるなどした。曹操・曹丕から子や兄弟のように寵愛されたという。 なお、小説『三国志演義』には登場しない。
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