失われた右パネルと複製画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 04:55 UTC 版)
「教会の聖母子」の記事における「失われた右パネルと複製画」の解説
ほとんどの美術史家が『教会の聖母子』はディプティクの片翼(左パネル)だったとしている。もう一枚の翼(右パネル)と蝶番で接続されていたと考えられる留め金の跡があり、失われた右パネルには左パネルである『教会の聖母子』と対称性のある絵画が描かれていたと考えられている。『教会の聖母子』のマリアは中央やや右に立ち、恥ずかしそうに顔を伏せているかのように、その視線は下向きにパネルの端を見つめている。このマリアの下向きの視線は、右パネルに描かれていたであろう、跪いた制作依頼者の肖像に向けられていた可能性が高い。壁龕、キリスト磔刑像とその背後の窓を除いて背景の構造物はパネル左側に右向きの角度で描かれており、聖母子だけではなく左パネル全体が右側を向いているという構成となっている。 ハービソンは『教会の聖母子』は「まず間違いなく祈祷用のディプティクの左パネルである」と主張している。美術史家エリザベト・ダネンスは、マリアの視線がパネルの端を超えているように見えることについて、初期フランドル派のディプティクやトリプティク(三枚のパネルで構成された宗教画。大規模な作品は三連祭壇画と呼ばれる)に描かれた聖人の視線が、同じ作品に描かれた制作依頼者の肖像にまっすぐ向けられている作品が多いことを指摘している。また、教会が右斜めに傾いている構図で描かれていることも、『教会の聖母子』と右パネルとが関連付けられていることを示唆している。よく似た構成で描かれた同時代の絵画作品として、フレマールの画家の『受胎告知』があり、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンが1452年ごろに描いた『ブラック家の祭壇画』では、各パネル間の連続性がさらに強調された構成となっている。 ヤン・ホッサールトの作品ではないかと言われているディプティクの左パネルに描かれた『教会の聖母子』。 1510年から1515年ごろに描かれ、ローマのドーリア・パンフィーリ美術館 (en:Doria Pamphilj Gallery) が所蔵している。ヤン・ホッサールトではなく、ヘラルト・ダヴィトの作品と言われることもある。 右パネルに描かれた『聖アントニオスと依頼主』。1513年ごろの作品で、左パネルの『教会の聖母子』と同じくローマのドーリア・パンフィーリ美術館が所蔵している。 ほぼ同時代に描かれた『教会の聖母子』の模写となるディプティクが二点現存している。ヘントの「1499年の画家」(en:Master of 1499) と呼ばれる画家の作品とヤン・ホッサールトによるものといわれる作品で、両作品ともにオリジナルのヤン・ファン・エイクの『教会の聖母子』が、ブルゴーニュ公フィリップの曾孫にあたるマルグリット・ドートリッシュの所有となっていた時期に完成を見た。どちらのディプティクも左パネルにはオリジナルとは差異が見られる『教会の聖母子』の複製画が、右パネルには制作依頼者の肖像画がそれぞれ描かれている。しかしながら、両作品の右パネルはまったく別物となっている。1499年の画家のディプティクの右パネルには、豪奢な私室で祈りを捧げるシトー会の修道僧クリスチアン・デ・ホントが、伝ホッサールトの右パネルには、幻想的な緑豊かな屋外で聖アントニオスが付き添う、ひざまずいたアントニオ・シチリアーノがそれぞれ描かれている。どちらのディプティクがファン・エイクの『教会の聖母子』の右パネルを模写しているのか、あるいはどちらも全く異なる情景が描かれているのかは分かっていない。 1499年の画家が描いた『教会の聖母子』はマリアの衣装の配色をはじめ、ファン・エイクのオリジナルと比べて細部にかなり相違が見られるが、美術史家の見解はオリジナルに比べて作品のバランスや構成が損なわれているということでほぼ一致している。伝ホッサールトの『教会の聖母子』も、マリアの立ち位置が変更されている、マリアの衣装が暗青色一色になっている、マリアの表情が変更されているなどの大きな修正が見られる。そして、どちらの『教会の聖母子』もオリジナルのマリアの背後に描かれた二つの光のスポットが除去されているほか、多くの宗教的寓意を意味する事物が省略されている。これは、ヤン・ファン・エイクが用いた宗教的寓意の重要性を、後世の画家たちが理解しきれていなかったためだと考えられている。しかしながら、伝ホッサールトの『教会の聖母子』は、全体としてはオリジナルを忠実に模写していることから、作者がヤン・ファン・エイクの技量と才能に多大な敬意を払っていたことが見て取れる。また、1499年の画家『教会の聖母子』にも、天井の描写や赤い布地の質感など、ヤン・ファン・エイクが1434年に描いた『アルノルフィーニ夫妻像』を連想させるものが数多く描かれていることから、ヤン・ファン・エイクを賞賛していたと考えられている。 1520年から1530年ごろに、フランドルの装飾写本作家、ミニアチュール画家のシモン・ベニング (en:Simon Bening) が幼児キリストを抱く聖母マリアの上半身像を描いている。この聖母子像は『教会の聖母子』とよく似ているため、『教会の聖母子』を下敷きにして制作された作品ではないかといわれている。ただし、マリアの頭部に15世紀の作品によくみられる円光 (en:Haro) が描かれているなど、『教会の聖母子』に直接の影響を与えた可能性がある、後期ビザンチン絵画の『カンブレーの聖母』にも酷似している。ベニングの聖母子像は、1499年の画家ならびに伝ホッサールトの『教会の聖母子』とは相違点が多い。ベニングの聖母子像はディプティクではなく単体での作品であること、構図はヤン・ファン・エイクのオリジナルに似ているものの、彩色が全く別物となっていることなどである。これらの点から、ベニングの聖母子像はヤン・ファン・エイクのオリジナルではなく、伝ホッサールトの複製画からの影響を受けていると考えられている。
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