失われた伝国璽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 17:02 UTC 版)
後漢末期、呉の孫堅が董卓討伐の時、戦で焼け野原となった洛陽の古井戸の底から伝国璽を拾ったという(『三国志』『孫堅伝』の注にある『呉書』による)。その後、袁術が皇帝を僭称する際、孫堅の夫人を拘留して伝国璽を奪ったという(『三国志』『孫堅伝』の注にある『山陽公載記』による)。ただ、『三国志』「孫堅伝」の注で裴松之は、孫堅は忠義の士なので玉璽を秘匿するはずがないと述べている。『三国志演義』においても、孫堅は洛陽にて伝国璽を手に入れたエピソードは載せられており、孫堅の死後に長子の孫策は伝国璽を袁術に渡して独立のための兵を借り受け、後に袁術は伝国璽を得たゆえに皇帝を僭称したことになっている。
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