天の逆鉾とは? わかりやすく解説

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あま‐の‐さかほこ【天の逆×鉾】

読み方:あまのさかほこ

天の瓊矛(ぬほこ)」の後世呼び名


あまのさかほこ 【天の逆鉾】


天(あめ)の逆鉾(さかほこ)

読み方:あまのさかほこあめのさかほこ

  1. 伊弉諾尊は天の逆鉾なり、伊弉冊尊滄海原(あをうなはら)なり。鉾を降して海をかき探る、鉾の滴りを阿浮曇と号す父の精なりなど云へる神道俗学者の古説拠りて、男陰を「天の逆鉾」又は単に「逆鉾」と称し、尚逆鉾一名拠りて「天(あめ)の瓊矛(ぬぼこ)」とも呼べり。阿国歌舞妓両儀舞の歌に曰く生れ来し天の逆鉾滴りて人の命は露となりけり」、「海原うなばら)や鉾の滴りなかりせば此迷ひある身とは生れじ」。又川柳曰く逆鉾滴りおぎやアおぎやアなり」、『燭夜文庫陰嚢箴の文中曰く山谷の間に隠居す、前に神国伝来天の逆鉾を安置し、後に弘法大師掘抜井戸をたくばへたり」。
  2. 天の逆鉾、男陰の隠語。単に逆鉾ともいふ。又天の瓊矛(ぬぼこ)ともいふ。神代諾冊二尊故事出づ。「燭夜文庫陰嚢箴の中に山谷の間に隠居す、前に神国伝来の天の逆鉾を安置し、後に弘法大師の堀抜井戸たくはへたり」とあり。狂歌夜神楽に天の逆鉾ふり立てて、うづめの岩戸ねらふ広前」。阿国歌舞伎両儀舞の歌に「生れ来し天の逆鉾滴りて人の命は露となりけり」同「海原や鉾の滴りなかりせば此の迷ひある身とは生れじ」とあり。「逆鉾滴りおぎやアおぎやアなり」「逆鉾おのころ島種おろし」「逆鉾の先へ日本が寄る如し」「逆鉾がまたあし原を探りに来」。
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天逆鉾

(天の逆鉾 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 17:58 UTC 版)

高千穂峰山頂部に突き立つ天逆鉾

天逆鉾(あめのさかほこ、あまのさかほこ)は、日本中世神話に登場するである。一般的に記紀に登場する天沼矛の別名とされているが、その位置付けや性質は異なっている。中世神話上では、金剛宝杵(こんごうほうしょ)、天魔反戈(あまのまがえしのほこ)ともいう。宮崎県鹿児島県境の高千穂峰山頂部(宮崎県西諸県郡高原町)に突き立てられているものが有名である。

諸説の変遷

元来、記紀神話では、漂っていた大地を完成させる使命を持った伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の夫婦神が天沼矛を渾沌とした大地に突き立てかき回し、矛を引き抜くと、切っ先から滴った雫(あるいは塩)がオノゴロ島となったとされていた(国産み[1]

しかし中世に到り仏教の影響のもと、この神話には様々な解釈が生み出され、天沼矛の性質も変容していく。

修験道の神道書『大和葛城宝山記』では、天沼矛を天地開闢の際に発生した霊物であり大梵天王を化生したとし、独鈷杵と見なされ魔を打ち返す働きを持つとして別名を天魔反戈というとされている。更に天孫降臨した邇邇芸命(『日本書紀』では瓊瓊杵尊)を(宝石)で飾られた(金剛杵)の神と解し、「杵」を武器に地上平定する天杵尊、別名杵独王とした。

一方で両部神道の神道書『天地麗気府録』ではオノゴロ島に立てられた金剛杵であるとされ、これらの影響を受けた『仙宮院秘文』では皇孫尊は天沼矛を神宝として天下ったとされた。このため天沼矛=天逆鉾は地上にあると考えられるようになった。

所在

天逆鉾の所在については『大和葛城宝山記』では天魔反戈は内宮滝祭宮にあるとされている。伊勢神道(度会神道)の神道書『神皇実録』ではサルタヒコの宮処の璽(しるし)とされており、『倭姫命世記』では天照大神が天から天逆鉾伊勢に投げ下ろしたとし内宮御酒殿に保管されているとした。いずれも、伊勢神宮に保管されていると説く。なお、北畠親房は『神皇正統記』の中でオノゴロ島である宝山にあると結論づけている。

高千穂の天逆鉾

高千穂峰の天逆鉾に関する最古の記録は橘三喜の『一宮巡詣記』で、延宝3年(1675年)9月24日に「御逆鉾」などの名所を観光したとある[2]。古来、天逆鉾を詳しく調べようとした者はいなかったが、坂本龍馬が妻のお龍と高千穂峰を訪れた際、何を思ったか引き抜いて見せたというエピソードがある。このエピソードは龍馬自身が手紙で姉に伝えており、手紙も桂浜の龍馬記念館に現存している。なお、この天逆鉾はのちに火山の噴火で折れてしまい、現在残っているものはレプリカである。オリジナルの柄の部分は地中に残っており、刃の部分は回収され、島津家に献上され、近くの荒武神社(都城市吉之元町)に奉納されたが、その後も様々な人手を転々と渡って現在は行方不明となっている。

兵庫県高砂市の生石神社では境内の石の宝殿を、天逆鉾、鹽竈神社塩竈とともに「日本三奇」と称している。

脚注

  1. ^ この際、本来長柄武器は刃を上にした状態が通常であるのに対し、刃を下に向けた状態、つまり逆さの向きで使ったため天逆鉾と呼ばれるという(村山 2006)。
  2. ^ 神道古典研究所編『神道古典研究所紀要 (2)』(神道大系編纂会、1996年)

参考文献

注釈に明記した以外は、ほぼ山本 1998に依っている。

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