薩摩旅行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 14:33 UTC 版)
寺田屋遭難で龍馬は両手指に重傷を負い、西郷隆盛の勧めもあって、刀傷治療のために薩摩へ下ることになった。龍馬とお龍は3月4日に薩摩藩船「三国丸」で大坂を出帆した。船上で龍馬は「天下が鎮まったら汽船を造しらえて日本を巡ろうとか」と言い、お龍が「家などいりません。船があれば十分です。外国まで廻ってみたいです」と言い返すと、龍馬は「突飛な女だ」と笑い出した。後でこの話を聞いた西郷も「突飛な女だから君の命は助かった」と大笑いしたと後年、お龍は回想している。 船は10日に鹿児島に到着し、龍馬とお龍には薩摩藩士・吉井幸輔が同道して温泉療養に向かった。一行は日当山温泉、塩浸温泉に行き、犬飼滝を見物したり、山に入って拳銃で鳥を撃ったりして過ごした。また、霧島山の頂にある天の逆鉾を見るために高千穂峰を登ると、龍馬とお龍は同行していた田中吉兵衛が止めるのも聞かずに逆鉾を引き抜いてしまう悪戯までした。この薩摩旅行の様子を龍馬は慶応2年12月4日付の姉・乙女宛ての手紙で絵図入りで詳しく書き記している。また、明治になってお龍もこの旅行についての回顧談を残した。 龍馬を初めて世間に紹介した坂崎紫瀾の『汗血千里駒』では、この旅行を西洋人がする「ホネー、ムーン」(ハネムーン)と結び付けて説明しており、現在では日本最初の新婚旅行として知られている。
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