大坂の役とは? わかりやすく解説

大坂の役

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 03:45 UTC 版)

後藤基次」の記事における「大坂の役」の解説

慶長19年1614年)、大坂の陣勃発すると、大野治長誘いを受け、先駆けて大坂城入城する。旗頭として天満の浦での閲兵式指揮任された際、その采配見事さから「摩利支天再来」と称される徳川家康からは、基次と御宿政友のみが警戒される名望家であった歴戦の将として大坂城五人衆一人数えられ山川賢信北川宣勝以下を与力として、大野治長・治房らを補佐した冬の陣では6,000人の遊軍任され鴫野今福方面木村重成協力して守備し上杉及び佐竹勢と相対した翌年5月大坂夏の陣道明寺の戦いにおいて、大和路平野部出口国分村での迎撃作戦先鋒として2,800の兵を率いて6日未明平野郷から出陣した。しかし、徳川方先鋒大将水野勝成率い部隊が、既に国分村まで進出していた。次善の策として、中間にあった小松山(現:玉手山公園近隣)に布陣し寡兵ながらも抜け駆けしてきた奥田忠次討ち取るなど、孤軍奮戦し賞賛された。しかし、後続薄田兼相明石全登真田信繁幸村)らの軍が発生により到着が遅れ、逆に伊達政宗家臣片倉重長率い鉄砲隊など、10倍以上となった相手対し、基次は山を降りての展開・突撃敢行し、乱戦中に討死したとされている。享年56

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大坂の役

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 09:18 UTC 版)

大野治房」の記事における「大坂の役」の解説

慶長19年1614年)からの大坂冬の陣では主要な武将1人として籠城戦総指揮執り船場方面西側)の守備統括した。 膠着状態の中、12月塙直之(団右衛門)や米田監物と共に本町橋から蜂須賀隊への夜襲敢行して勝利した。 しかし包囲長期化により和議派が台頭すると、治房は主戦派の筆頭として、兄らとも対立する結局、治長と織田有楽主導徳川方との和睦成立した和睦後、治長が城内襲われ負傷したが、これは治房が襲撃させたとも言われる慶長20年1615年4月徳川家との和睦破綻し大坂夏の陣が始まると、4月27日、治房は大和郡山城攻略するため2千余の兵の指揮執り暗峠越えて、ほとんど空城となっていた郡山城攻撃して筒井定慶を逐い、城下焼き払った28日、治房は槙島玄蕃等と、住吉・堺に火を放ち徳川方水軍向井忠勝九鬼守隆らと交戦した29日、更に治房は紀伊浅野長晟攻撃するため和歌山城目指した。同時に紀伊および和泉一揆煽動し豊臣軍紀伊攻撃呼応させる計画であった。治房は一揆勢の蜂起呼応して攻めよう考えていたが、塙直之豊臣軍先鋒浅野勢との間で戦闘開始されたため、戦場である井へ急いだ。しかし到着する前に塙直之らの部隊壊滅し浅野勢も退却していたため、大坂引き返した詳細は「郡山城 (大和国)#郡山城の戦い」および「樫井の戦い」を参照 5月7日最後の決戦のため豊臣方大坂城出発し、治房は左翼岡山口の主将として計4,600軍勢布陣した。戦闘が始まると、治房隊は徳川勢先鋒前田隊を攻撃、これを支援するために井伊隊・藤堂隊が動くと、混乱乗じて前進配置した徳川秀忠旗本一部殺到して大混乱に陥れた。しかし次第秀忠軍が反撃転じ始め戦況不利になると、治房は敗兵収容しつつ城内撤退したその後、城が炎上する玉造口から逃亡した

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