報道態勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 06:22 UTC 版)
気象庁とNHKでは、地震を受け直ちに震源と津波情報の発信を急いだ。その結果、地震発生から5分後の午後10時22分に、気象庁は北海道日本海沿岸と奥尻島を含む北海道西方四島全域に津波警報(大津波)、北海道太平洋側に津波警報、オホーツク海沿岸に津波注意報を発表し、午後10時25分には、東北地方の日本海沿岸(青森県の陸奥湾含む)に津波警報(大津波)、東北地方の太平洋沿岸に津波警報を発表した。 NHKでは津波警報発表を受け、地震発生から7分後の午後10時24分47秒に1回目の緊急警報放送を実施した。なお、北海道・東北地方以外でも、津波警報は翌13日午前0時12分に新潟県から福井県の沿岸に、津波注意報は12日午後10時31分には新潟県から石川県輪島の沿岸に、午後11時24分には鳥取県から島根県の沿岸、午後11時25分には石川県輪島から福井県の沿岸、午後11時41分には、山口県日本海沿岸から九州西岸(有明海・八代海と壱岐・対馬含む)に津波注意報が発表された。先述の通り、13日午前0時12分には新潟県から福井県の沿岸の津波注意報が津波警報に切り替えられた。 1983年(昭和58年)の日本海中部地震では、地震発生から津波警報発表まで14分、津波警報の報道までに19分を要した。それと比較すれば、この地震の報道は、かなり迅速化が図られたといえる。ところが、震源に最も近かった奥尻島には地震発生から5分と経たないうちに大津波が押し寄せ、下述のように多くの犠牲者を出してしまった。日本海中部地震の時の半分に満たない時間で報道できたにもかかわらず、奥尻島の住民には津波警報が間に合わなかったことになる。 第40回衆議院議員総選挙が近かったため、政見放送を放送していた地域が多く、全国ニュースの切り替えには時間がかかったという。背景には、政見放送を中断することが公職選挙法に抵触する可能性があったためと言われている。 報道は災害当初、北海道本島側にある明治期より古くから測候所のあった寿都町より電話にて状況報告が行われていた。災害当時NHKの教育番組制作のためのスタッフが奥尻島青苗地区に滞在中であった。スタッフはカメラ一台とテープだけを持って高台に避難した。避難に際しワゴン車の後部ドアを開いた後方に向けて撮影を続けた素材が存在するが、徒歩避難で力尽きた老人数名を置き去りにした様子が写っていたため、地震翌日に一度放送されただけで非公開となった。その後函館局と電話がつながり、取材班のディレクターが電話リポートを行った。翌朝、札幌局がヘリコプターにて最小限の中継機材を運びこみその機材で翌朝実況生中継が行われた。 民放でも一部番組を変更して報道したが、北海道放送(HBC)が地震発生当初、半年前の釧路沖地震を思い出したのか、当時の報道部社員が「釧路、釧路、釧路!」と絶叫し、釧路放送局の関係者に連絡しようとしていた。
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