国際社会全体の名において処罰される犯罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 03:04 UTC 版)
「国際犯罪」の記事における「国際社会全体の名において処罰される犯罪」の解説
国際社会全体の一般利益を侵害する犯罪であるため、個人の刑事責任が国内法を介さずに直接国際法によって成立し、国際刑事裁判所など国際機関によって訴追・処罰される犯罪を「国際社会全体の名において処罰される犯罪」という。第二次世界大戦後に生まれた新しい国際犯罪である。第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約においてもドイツ皇帝の戦争責任を追及する規定が置かれていたが(第227条)、このときは皇帝の亡命国オランダが引き渡しを拒否したため訴追が実現しなかった。個人の戦争責任を追及する手続きが初めて実現したのは第二次世界大戦後に設置されたニュルンベルク国際軍事裁判所と極東国際軍事裁判所においてであり、ドイツや日本の戦争指導者たちに対して通例の戦争犯罪に加え、「平和に対する罪」、「人道に対する罪」を適用し処罰した。これらの裁判は裁判所の公正さ、国家行為に関して個人の刑事責任を追及することの実定法としての確立、共同謀議の概念の適用、といった法的問題があったといわれるが、1946年に国連総会はニュルンベルク原則を確認する決議を採択し、国連国際法委員会は「人類の平和と安全に対する罪」の法典化作業を行った。ジェノサイド条約やアパルトヘイト条約は「人道に対する罪」を発展させた条約と言える。これらの条約は、犯罪の構成要件と個人の刑事責任を条約自体が詳細に定め、管轄裁判所として行為地国の裁判所、被告人に対して管轄権を持つ国の裁判所、そして条約締結後に設立されることとなった国際刑事裁判所が条約作成時に設置されることをすでに予定していた。この種の犯罪行為は私人が行うことは事実上不可能に近く、可能性が考えられるのは国家機関やこれに準ずる地位にある個人であるが、そうであったとしても行為の責任を国家に帰属させず個人に刑事責任を課すものである。しかし国家機関に準ずる地位にある個人に対する裁判を国内裁判所が行うことはほとんど期待できない。イスラエルがアルゼンチンに潜伏していた元ナチスのユダヤ人虐殺責任者であったアドルフ・アイヒマンを自国に連行し、ユダヤ人に対する集団殺害罪や「人道に対する罪」により処罰したことがあったが、この時のイスラエルの管轄権の正当性についても疑問視されている。1993年に設立された旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)や1994年のルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)は安保理決議によって設立された特定の事案にのみ限定された裁判所であったが、安保理の統制に従うことなく独立した司法機能を行使し、裁判の公正さや犯罪の実定法規性について第二次世界大戦後の国際軍事裁判所が抱えた問題点を克服したものとなった。常設的な国際刑事裁判所を設立する条約に関しては1994年に国連国際法委員会作成の条約草案が採択され、1998年に国際刑事裁判所規程が採択、2002年に発効した。同規程は、国際刑事裁判所の裁判の対象となる犯罪を「国際社会全体にとっての関心事項である最も重大な犯罪」に限定し、ジェノサイド、「人道に対する罪」、戦争犯罪、侵略の罪という4つの行為をコアクライムとし管轄としている(第5条第1項)。これまでにコンゴ民主共和国、ウガンダ、中央アフリカ共和国が自国内の事項を国際刑事裁判所に付託したほか、ダルフールの事案に関して安保理が付託している。
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