国立国会図書館支部上野図書館時代とは? わかりやすく解説

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国立国会図書館支部上野図書館時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/31 20:16 UTC 版)

森清 (図書館学)」の記事における「国立国会図書館支部上野図書館時代」の解説

戦後1946年昭和21年)に日本に帰国した新設予定市川市図書館から誘い受けて勤務することとなるが、国府台建設予定地GHQ接収されてしまった(結果的に1950年まで開館されなかった)ため、1947年昭和22年)に帝国図書館館長岡田温直々要望受けて帝国図書館主事として採用される事となった。翌年開かれた日本図書館協会評議員選挙では、「日本十進分類法」で知られ評議員当選して以後10期連続当選果たし一時理事をも兼務して1951年昭和26年刊行の『日本図書館協会六十略譜』の執筆や「図書館の自由に関する宣言制定取りまとめ尽力するなど、戦後図書館界で重き為した。 ところが、帝国図書館国立図書館、そして国立国会図書館支部上野図書館改まっていく過程国立国会図書館における立場微妙なものになっていった。森の人望を見込んで帝国図書館労働組合副委員長就任要請されてこれを引き受ける事になったことが館長であった岡田不興買って国立国会図書館発足によって整理局長転じた岡田本館職員には推挙しなかったのである。更に1962年昭和37年)に国立国会図書館分類表定められた際には、作成委員選ばれながら、内実単なる権威付けのための要員でしかなく、分類困難な分野における整理担当回され実際作成には全く関われなかったと言われている。その一方で1965年昭和40年)、国立国会図書館目録ローマ字排列訓令式からヘボン式改めようとして労働組合反対運動起こしてこれを潰した際に改正支持したとして今度労働組合側から非難された(元々、戦前からのヘボン式排列論者であり、この計画真っ先賛同していた)。 それでも、岡田替わって国立図書館長・初代上野図書館長を務めたのが、間宮不二雄とともに良き理解者であった加藤宗厚(-1957年であったのが幸いした1950年昭和25年)に加藤推挙上野図書館司書整理部課長補佐となり、加藤右腕として戦時中滞っていた目録作成図書館分類委員会委員長を兼ねた加藤の元で「日本十進分類法改訂作業従事した。更に1966年昭和41年)には明治百年事業として計画された「明治期刊行図書目録」に整理部主任司書として参画完成前1972年昭和47年)に退職するものの、実質上は編纂者であった

※この「国立国会図書館支部上野図書館時代」の解説は、「森清 (図書館学)」の解説の一部です。
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