御家人
(国御家人 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 02:09 UTC 版)
御家人(ごけにん)は、武家の棟梁(将軍)の家人を指す。なおその身分は、中世と近世とでは意味合いが多少異なる。
注釈
- ^ 小川恭一の研究によると、寛政重修諸家譜所載の旗本5158家中、御家人から昇格した家は1148家に上るという[3]。
- ^ 黒鍬者は譜代の御家人ではあるが12俵二人扶持と薄給であった[5]。
- ^ 竹越与三郎によると既に四代将軍家綱の寛文年間に、「婿養子を庶民からもらった」として幕府に届けたが、実は多額の礼金をとって庶民に跡を継がせているケースが有るという。寛文三年には幕府から「カネ目当ての結婚や養子縁組はしないように」という禁制さえ出ている[5]。
- ^ 勝の曽祖父は高利貸しの米山検校で、息子の平蔵に御家人・男谷家の株を買ってやり、その男谷平蔵(海舟の祖父)が御家人・西丸持筒与力から旗本・勘定に昇格している。平蔵の子・勝小吉(旗本・勝甚三郎家を継ぐ)が海舟の父に当たる[3]。
- ^ 一例として、『吾妻鑑』には馬を盗んだために領地を没収され、御家人の資格を剥奪された記述もみられる。
出典
- ^ 吉田賢司「建武政権の御家人制『廃止』」(所収:上横手雅敬 編『鎌倉時代の権力と制度』(思文閣出版、2008年))
- ^ 呉座勇一編『南朝研究の最前線 ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで』(朝日文庫、2020年)p.197.
- ^ a b 小川2003
- ^ 姜鶯燕「<研究ノート>近世中後期における武士身分の売買について:『藤岡屋日記』を素材に」2021年11月1日閲覧、日本研究 37, 163-200, 2008-03 国際日本文化研究センター
- ^ a b 姜2008
- ^ 姜鶯燕 2008, p. 164.
- ^ 姜鶯燕 2008, p. 166.
- ^ 姜鶯燕 2008, p. 192-193.
- ^ 週刊朝日ムック『「完全保存版」江戸の暮らしと仕事大図鑑』(朝日新聞社、2019年)p.26.
- ^ 網野善彦 『中世再考』 講談社学術文庫 2000年 ISBN 4-06-159448-6 p.86.
- ^ 五味文彦『日本の中世』財団法人放送大学教員振興会、1999年(1刷98年)、ISBN 4-595-55432-X、p.64.
- ^ 山口博 『日本人の給与明細 古典で読み解く物価事情』 角川ソフィア文庫 2015年 ISBN 978-4-04-409224-5 p.161.
- ^ 源頼朝が源義経の反乱を知った時も御家人の数は同じ。呉座勇一『陰謀の日本中世史』(角川新書、2018年)p.86.
- ^ 山口博 『日本人の給与明細 古典で読み解く物価事情』 p.161.
[続きの解説]
- 国御家人のページへのリンク