平泉郡内検非違所管領葛西清重とは? わかりやすく解説

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平泉郡内検非違所管領葛西清重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/05 23:21 UTC 版)

奥州総奉行」の記事における「平泉郡内検非違所管領葛西清重」の解説

『吾妻鏡』によれば奥州合戦直後にあたる文治5年9月22日条に「陸奥国御家人の事、葛西三郎清重これを奉行すべし。参仕の輩は清重属して子細啓すべし」(原文漢文とあって、これが「奥州奉行」の史料上の初出である。また、頼朝抜群勲功をあげた葛西清重に「平泉郡内検非違所」の管領職をも命じており、「(磐井郡内において諸人濫行停止し罪科を糺断すべし」(原漢文)と命令した。その管領は、平泉検非所を中心に奥州所領あたえられ武士全体におよぶ検断権警察裁判権)のごとく見なされたため、守護設置の国である陸奥国にあっては守護類似の職権考えられる『吾妻鏡』同年10月26日条には、清重別の仰を受けて奥州条々沙汰し鎮めんがために在国しているとの記載があり、この検断職任命がすなわち奥州総奉行任命みなされる文治5年11月8日条には、葛西清重奥州所務のことが命じられている。ここでは、奥州国中は「不熟の愁」があったうえに多数軍勢逗留していたので、民戸安堵しがたいことから窮民を救うよう沙汰をおこなうべきこと、さらに、常陸国在住の故佐竹太郎の子息らが藤原泰衡残党内意しているとの噂があるので搦め進めること、すなわち、謀反人追捕である。

※この「平泉郡内検非違所管領葛西清重」の解説は、「奥州総奉行」の解説の一部です。
「平泉郡内検非違所管領葛西清重」を含む「奥州総奉行」の記事については、「奥州総奉行」の概要を参照ください。

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