田上の成立と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 22:57 UTC 版)
「田上 (鹿児島市)」の記事における「田上の成立と中世」の解説
田上という地名は鎌倉時代より見え、薩摩国鹿児島郡のうちであった。戦国時代には田上名とも呼ばれていた。文保元年(1317年)の薩摩国御家人交名注文によれば鹿児島の御家人として「田上領主」という記述が見える。この田上領主は鹿児島郡の郡司の矢上一族の庶子一族であったとされる。当時矢上氏は鹿児島郡の要所において一族を分置し、その一族を統轄していたという。 正平7年(1353年)には島津貞久によって代官職の伊地知彦七に対して田上の半分が与えられている。文和3年(1354年)には鎮西管領一色範氏によって島津貞久に対し田上の所領が与えられた。天正年間には武村と共に開発がすすめられた。
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