国府宮団地時代(1975年 - 2006年)
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「稲沢市図書館」の記事における「国府宮団地時代(1975年 - 2006年)」の解説
稲沢市は日本住宅公団(現・都市再生機構)と連携して、鉄骨鉄筋コンクリート造地上13階地下1階建の国府宮団地の1階から3階を稲沢市総合文化センターに充てた。総工費は12億円であり、事業主体は日本住宅公団である。国府宮団地は1973年(昭和48年)4月に起工し、1974年(昭和49年)12月に総合文化センター部分が完成(建物全体の完成は1975年7月)した。総合文化センターは図書館・稲沢市役所北出張所・ホール・文化協会・美術協会などの施設の総称である。高さ51mの国府宮団地は名鉄名古屋本線国府宮駅の南東徒歩3分の場所にあり、稲沢市最大の近代的市街地ビルだった。 1975年(昭和50年)3月8日には1階と地下1階を利用して稲沢市立図書館が移転開館した。1階にはブラウジングコーナー・おはなしコーナーなどがあり、地下1階には成人閲覧室・参考図書閲覧室・視聴室・展示コーナー・書庫などがあった。座席数は約170席であり、児童向けのスペースを重視していた。図書館部分の延床面積は1,027m2だった。1975年4月の資料数は25,780冊だった。 開館からの15日間の貸出冊数は8,475冊に達し、館報ではこれを「爆発的」「驚異的」と伝えている。同年10月13日には800冊積載の移動図書館車両「おおぞら号」を用いて、10ステーションを月2回の頻度で巡回する移動図書館サービスを開始した。下津町の稲沢市農協東部支所、六角堂町の長光寺、日下部松野町の仲よし広場、東緑町の遊園地、東出張所、西出張所、坂田町の坂田分校跡、矢合町の地蔵様広場、片原一色町の善応寺、老人憩の家にステーションが置かれている。1976年(昭和51年)3月には肢体不自由者に宅配サービス(家庭文庫)を開始し、1985年(昭和60年)4月には視覚障害者に録音テープの郵送貸出を開始した。1975年の開館時の住所は稲沢市小池正明寺町北反田35番地だったが、1984年には住居表示が実施されて稲沢市国府宮3丁目1番1-101号となっている。 1988年(昭和63年)7月にはコンピュータを導入、1993年(平成5年)10月には利用者用検索端末を設置した。1996年(平成8年)4月には開館時間を10時-18時に変更し、2000年(平成12年)4月にはより大規模な開館時間の変更を行っている。これによって11月から翌年4月は10時-18時、5月・6月・9月・10月は9時30分-18時、7月・8月は9時-18時となった。2002年(平成14年)には尾張西部図書館運営協議会を構成する3市3町(稲沢市・一宮市・尾西市・木曽川町・祖父江町・平和町)の図書館間で広域貸出が開始された。 2005年(平成17年)の蔵書数は107,000冊だった。国府宮団地内の図書館は延床面積や蔵書数などの点で規模が小さく、老朽化が進行していた。2004年度の統計によると稲沢市立図書館の1人あたり貸出冊数は2.8冊であり、愛知県の公立図書館の中で最下位に近かった。2005年4月1日には、旧稲沢市・中島郡祖父江町・中島郡平和町の1市2町が合併して新稲沢市が誕生し、稲沢市立稲沢図書館に改称した。合併に合わせて3館の開館時間を統一し、年間を通じて10時-19時とした。国府宮団地の旧館は2006年(平成18年)6月30日で閉館し、7月1日から10月31日には新館への移転作業を行った。
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