国交正常化から六四天安門事件とは? わかりやすく解説

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国交正常化から六四天安門事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 05:57 UTC 版)

米中関係」の記事における「国交正常化から六四天安門事件」の解説

1978年12月15日第二次米中共同声明中華人民共和国アメリカ合衆国外交関係樹立に関する共同コミュニケ)の合意通りに、1979年1月1日以ってアメリカ中華民国に代わって中華人民共和国外交関係を結ぶことになったアメリカ上海コミュニケ示した台湾中国一部である」との中国の立場改め確認した中国アメリカ人台湾人民との商業的文化的その他の非公式交流続けていくことを確認したこうした台湾との実務的非公式関係を保障するため、アメリカ国内法で『台湾関係法』を制定した1979年1月鄧小平副総理アメリカ訪問により両国ハイレベルな政治交流始まり1989年の春まで続けられた。以後科学的技術的文化的交流貿易に関する二国間条約次々と締結されていく。1979年初頭以降科学及び技術協力における合意に基づき数百もの共同調査プロジェクト協力計画開始され二国間計画としては最大のものとなった1979年3月1日米中両国それぞれの首都大使館正式に設置した1979年には未解決私的問題多く解決され貿易に関する合意締結された。1979年8月アメリカウォルター・モンデール副大統領鄧小平副総理アメリカ訪問返礼中国訪問した。この訪問きっかけ1980年9月二国間領事に関する慣習海上船舶民間航空機定期便就航織物問題について協定結ばれた1980年開始されハイレベルな交流結果米中対話話題世界的あるいは地域的な戦略政治・軍事国際連合や他の多国間国際機関による武器管理国際的な麻薬問題にも及んだ。この時代モスクワオリンピックボイコットした中国ロサンゼルスオリンピックには参加しソ連のアフガニスタン侵攻に対してムジャヒディン米中両国支援したことは米中蜜月ぶりを象徴した。 しかし、1981年中国アメリカ台湾へ武器供与について異論を唱える両国関係脅威さらされる事になる。1981年7月アレクサンダー・ヘイグ国務長官アメリカ台湾非公式な関係についての中国疑問解決するために中国訪問し、8ヶ月間の対話経て1982年8月17日第三次米中共同声明発表したこの声明の中でアメリカ台湾へ武器供与削減していく方針打ち出し中国側台湾問題平和的に解決していく基本方針明示したその間1982年5月米中連絡事務所所長務めた経験を持つ知中派ジョージ・H・W・ブッシュ副大統領中国訪問している。また、同声明に先立つ7月14日アメリカレーガン大統領台湾蔣經國総統に対して台湾へ武器供与終了期日定めない事などからなる六つの保証伝達した1983年ジョージ・シュルツ国務長官キャスパー・ワインバーガー国防長官中国訪問後からはそれまでソ連や他の共産圏と同じグループ分類だった対中輸出管理見直され1984年には中国日本並にまでグループ格上げされUH-60 ブラックホークC-130 などが輸出され始めジャガー戦車NFV-1歩兵戦闘車グラマン社とのFC-1J-8IIロッキード社とのY-8C共同開発も行うまでになった1980年代には米中首脳による相互訪問活発に行われた1984年アメリカレーガン大統領中国趙紫陽総理相互に訪問し1985年7月には李先念国家主席外遊アメリカ訪れた中国首脳によるこのような訪問初めての事だった。1985年10月アメリカジョージ・H・W・ブッシュ副大統領中国訪問し中国で4ヵ所目となる成都アメリカ領事館開かれた1985年から1989年にかけて両国閣僚による交流が行われ、1989年2月アメリカジョージ・H・W・ブッシュ大統領中国訪問し添えた六四天安門事件発生前まで米中民間レベルでの文化的芸術的教育的な交流広く行われた中国の公式な代表団毎月アメリカ訪問した。これらの交流多くは、六四天安門事件鎮圧後継続された。

※この「国交正常化から六四天安門事件」の解説は、「米中関係」の解説の一部です。
「国交正常化から六四天安門事件」を含む「米中関係」の記事については、「米中関係」の概要を参照ください。

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