国交締結前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/29 08:20 UTC 版)
日本とモナコは、長きにわたって友好関係を維持しているにもかかわらず、2000年代に入るまで国交が結ばれていなかったという、異例の二国間関係である。 国交が結ばれなかった要因としては、フランスとモナコが結んでいた仏モ保護友好条約(フランス語版、英語版)が挙げられる。1918年に締結された仏モ保護友好条約によれば、モナコが他国と外交関係を結ぶ際には、フランスの事前同意が必要とされていた。この条約などにより、モナコはフランスの保護下に置かれており、国家主権に制限が課せられた状態であると看做されていた。このような背景から、日本はモナコと正式な国交を結ばない状態が長らく続いていた。 ただ、国交は結ばれていなかったものの、特に両国が対立していたわけではなく、長きにわたって友好関係が維持されていた。ともに立憲君主制の国家であり、日本の皇室とモナコの公室との親交も深かった。国交の有無にかかわらず、要人の往来なども頻繁に行われてきた。たとえば、日本の皇族である常陸宮正仁親王と正仁親王妃華子は、レーニエ三世公の葬儀に参列するなど、複数回にわたってモナコを訪問していた。また、モナコの公族であるアルベール公世子は、日本で開催された長野オリンピックに出席するなど、複数回にわたって日本を訪問していた。
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