国交樹立以後の両国関係
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「日本とソロモン諸島の関係」の記事における「国交樹立以後の両国関係」の解説
1978年7月7日、英国王を名目上の君主として戴き総督が統治する英連邦王国(カナダやオーストラリア、ニュージーランドなどと同じ政体)としてソロモン諸島が独立した。これを受けて日本は直ちに独立を承認、両国の間で国交が樹立された。 1980年2月、在パプアニューギニア日本国大使館が在ソロモン諸島日本国大使館を兼轄。 1980年10月、大成建設の工事によって、ガダルカナル島アウステン山(英語版)の山麓にソロモン平和慰霊公苑が完成。設計者は河野鷹思および高村英也、総工費は約1億7000万円であった。同月25日、昭和天皇と香淳皇后から、同公苑の落成を記念して、「南太平洋戦没者慰霊塔の除幕並びに追悼式」に供花が贈られた。 1980年11月、日本の臨時代理大使がソロモン諸島の首都ホニアラに常駐を開始。 1989年1月、昭和天皇が崩御。翌2月に昭和天皇の葬儀である大喪の礼が執り行われ、ソロモン諸島からはジョージ・レピン(英語版)総督夫妻およびベロ副官が参列した。 1990年3月、在京ソロモン諸島名誉領事館が開設される。同1990年、天皇(当時。令和時代の上皇)の即位の礼が執り行われ、11月に行われた賓客を招く饗宴の儀にはレピン総督夫妻が参列した。 1993年、大戦中に戦死を遂げた旧日本軍福岡歩兵第124連隊所属の上村清少尉の息子である上村清一郎が、亡父や戦友が所属していた第124連隊の遺族と共に福岡ホニアラ会を結成する。上村は度々ガダルカナルを訪問して戦没者の遺骨収集や慰霊活動に従事したが、当初70名で行っていた遺骨収集の参加者は会員の高齢化と共に次第に少なくなり、20回目となる2005年夏の慰霊の旅に参加した者はわずか3名であった。その後、福岡ホニアラ会は会員の高齢化に伴って活動を休止し、上村自身も2010年に78歳で他界する。 2011年11月17日、老朽化していたソロモン平和慰霊公苑の再整備完了に伴い、同公苑で再整備完成記念追悼式が開かれた。追悼式では、天皇・皇后(当時。令和時代の上皇・上皇后)、玄葉光一郎外務大臣および小宮山洋子厚生労働大臣から供花が贈られ、岩撫明臨時代理大使の代読による野田佳彦総理からの追悼の辞と公益財団法人太平洋戦争戦没者慰霊協会代表理事秋上眞一の式辞が読まれた。 2016年1月、ガダルカナル島に初めて在ソロモン諸島日本国大使館が開設され、同年4月より特命全権大使がホニアラ常駐を開始。
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