国交樹立以後の両国関係とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 国交樹立以後の両国関係の意味・解説 

国交樹立以後の両国関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 03:44 UTC 版)

日本とソロモン諸島の関係」の記事における「国交樹立以後の両国関係」の解説

1978年7月7日英国王名目上君主として戴き総督統治する英連邦王国カナダオーストラリアニュージーランドなどと同じ政体)としてソロモン諸島独立した。これを受けて日本直ち独立承認両国の間で国交樹立された。 1980年2月在パプアニューギニア日本国大使館在ソロモン諸島日本国大使館兼轄1980年10月大成建設工事によって、ガダルカナル島アウステン山(英語版)の山麓ソロモン平和慰霊公苑が完成設計者河野鷹思および高村英也、総工費は約1億7000万円であった同月25日昭和天皇香淳皇后から、同公苑の落成記念して、「南太平洋戦没者慰霊塔除幕並びに追悼式」に供花贈られた。 1980年11月日本臨時代理大使ソロモン諸島首都ホニアラ常駐開始1989年1月昭和天皇崩御。翌2月昭和天皇葬儀である大喪の礼執り行われソロモン諸島からはジョージ・レピン(英語版総督夫妻およびベロ副官参列した1990年3月在京ソロモン諸島名誉領事館が開設される。同1990年天皇当時令和時代の上皇)の即位の礼執り行われ11月行われた賓客を招く饗宴の儀にはレピン総督夫妻参列した1993年大戦中に戦死遂げた旧日本軍福岡歩兵第124連隊所属の上少尉息子である上村清一郎が、亡父戦友所属していた第124連隊遺族と共に福岡ホニアラ会結成する上村は度々ガダルカナル訪問して戦没者の遺骨収集慰霊活動従事したが、当初70名で行っていた遺骨収集参加者会員高齢化と共に次第少なくなり、20回目となる2005年夏慰霊の旅に参加した者はわずか3名であったその後福岡ホニアラ会会員高齢化伴って活動休止し上村自身2010年78歳他界する2011年11月17日老朽化していたソロモン平和慰霊公苑の再整備完了に伴い、同公苑で再整備完成記念追悼式開かれた追悼式では、天皇・皇后当時令和時代の上皇・上皇后)、玄葉光一郎外務大臣および小宮山洋子厚生労働大臣から供花贈られ岩撫臨時代理大使代読による野田佳彦総理からの追悼の辞と公益財団法人太平洋戦争戦没者慰霊協会代表理事秋上眞一式辞読まれた。 2016年1月ガダルカナル島初め在ソロモン諸島日本国大使館開設され同年4月より特命全権大使ホニアラ常駐開始

※この「国交樹立以後の両国関係」の解説は、「日本とソロモン諸島の関係」の解説の一部です。
「国交樹立以後の両国関係」を含む「日本とソロモン諸島の関係」の記事については、「日本とソロモン諸島の関係」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「国交樹立以後の両国関係」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「国交樹立以後の両国関係」の関連用語

国交樹立以後の両国関係のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



国交樹立以後の両国関係のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本とソロモン諸島の関係 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS