商業的成功へとは? わかりやすく解説

商業的成功へ(1976~87年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 03:40 UTC 版)

ボブ・シーガー」の記事における「商業的成功へ(1976~87年)」の解説

1976年発表されアルバム炎の叫びNight Moves)』から、シーガー本格的な快進撃が始まる。タイトル曲「ナイト・ムーヴス(Night Moves)」は全米シングルチャートの最高4位を記録しAORラジオ局でもエアプレイされるようになるアルバムには、マッスル・ショールズのピート・カーによるギター印象的なメインストリートMainstreet)」(全米24位)、「ロックン・ロールRock and Roll Never Forgets)」(全米41位)が収録されている。『炎の叫び』は、全米アルバムチャートシーガー初のトップ10アルバム(最高8位)となり、2006年時点米国600万枚売り上げ記録しオリジナルアルバムとしてはキャリア最大売り上げとなる。このアルバムの成功により、前々作『美しき旅立ち』が全米200万枚前作ライヴ』も500万枚上の売り上げ記録する1977年2月ドラマーのチャーリー・アレン・マーティンが交通事故遭い後任1972年の『Smokin' O.P.'s』に参加していたデヴィッド・ティーガーデンが加入する1978年発表されアルバム見知らぬ街Stranger in Town)』は全米での売り上げ500万枚突破し全米アルバムチャートの4位まで上がり1979年ビルボード年間アルバムチャート14位にランクされた。このアルバムからは、「裏切りゲームStill the Same)」(全米4位)、「夜のハリウッドHollywood Nights)」(全米12位)、「愛・ひとときWe've Got Tonight)」(全米13位)、「オールド・タイム・ロック & ロールOld Time Rock & Roll)」(全米28位)といったヒット曲生まれている。なお、「愛・ひととき」は、1983年ケニー・ロジャースシーナ・イーストンカバーされ全米6位のヒットになり、「オールド・タイム・ロック & ロール」は、1983年トム・クルーズ主演映画卒業白書Risky Business)』に使用され同年全米シングルチャートにおいて48位まで上がっている。 1979年シーガー共作者として名を連ねているイーグルスの「ハートエイク・トゥナイト」が全米ナンバーワン記録1980年発表されアルバム奔馬如くAgainst the Wind)』は、全米アルバムチャートにおいて15連続トップの座を守っていたピンク・フロイド『ザ・ウォール』に代わって、初のナンバーワンに輝く。ファーストシングルの「ファイアー・レイク(Fire Lake)」(全米6位)には、バックボーカルイーグルスドン・ヘンリーティモシー・B・シュミットグレン・フライ参加している。その他にタイトル曲の「アゲンスト・ザ・ウインド(Against the Wind)」(全米5位)、「わかりあえる時(You'll Accomp'ny Me)」(全米14位)、「地平線バップ(The Horizontal Bop)」(全米42位)のヒット曲生まれている。全米チャート6週連続1位を記録したこのアルバム1980年グラミー賞を2冠獲得し全米での売り上げ前作同様500万枚突破している。 キーボードにクレイグ・フロスト(グランド・ファンク・レイルロード)が加入1981年にはライヴアルバム『嵐の呼ぶ声(Nine Tonight)』を発表全米アルバムチャート3位まで上がり売り上げ400万枚突破している。アルバムからはオーティス・クレイ知られる暴走マイ・ライフTrying to Live My Life Without You)」(全米5位)、「フィール・ライク・ア・ナンバー(Feel Like A Number)」(全米48位)がシングルカットされている。 1982年には『ザ・ディスタンス(The Distance)』(全米5位)を発表アルバム制作中、ギターのドリュー・アボットがシーガーによるセッションミュージシャン多用に不満を抱きバンド脱退後任にドウェイン・ベイリー(後にシカゴ等で活躍)が加入するまた、アルバム発表後にはドラムのデヴィッド・ティーガーデンがバンドトラブル理由脱退後任にドン・ブリューワー(グランド・ファンク・レイルロード)が加入する。このアルバムからのシングル月に吠えるShame on the Moon)」(ロドニー・クロウエル作)は、パティ・オースティンジェームス・イングラムの「あまねく愛でBaby, Come to Me)」とマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」に阻まれて4週連続2位の座に留まるも、シルヴァー・ブレット・バンド最大ヒットとなった。他に「イーヴン・ナウ(Even Now)」(全米12位)、「ロール・ミー・アウェイ(Roll Me Away)」(全米27位)などがヒットしている。アルバムの売り上げ190万枚記録する1984年シーガーニック・ノルティ主演映画りんご白書Teachers)』のために書いたパワーロックバラード「アンダースタンディングUnderstanding)」(全米17位)を録音するまた、1986年にはロブ・ロウ主演映画きのうの夜は…(About Last Night...)』に「リヴィング・インサイド・マイ・ハート(Living Inside My Heart)」を録音するこの辺りから、スタジオアルバム発表インターバル長く空くようになる1986年発表の『ライク・ア・ロック(Like a Rock)』は全米3位記録しアルバムの売り上げ最終的に300万枚突破する。このアルバムからは、「アメリカン・ストーム(American Storm)」(全米13位)、「イッツ・ユーIt's You)」(全米52位)、「ライク・ア・ロック(Like a Rock)」(全米12位)、「マイアミMiami)」(全米70位)などのヒット生まれている。アルバムに伴うAmerican Stormツアー9か月に及び、約150万枚チケット売り上げ記録するアルバムタイトルトラック「ライク・ア・ロック」はシボレートラックのキャンペーン曲として1991年から2004年まで使用された。 1987年3月13日ボブ・シーガー&ザ・シルヴァー・ブレット・バンド音楽分野での業績認められハリウッド・ウォーク・オブ・フェームにその名が刻まれる1987年シーガーエディ・マーフィ主演映画『ビバリーヒルズ・コップ2』サントラ曲「シェイクダウンShakedown)」を録音する映画音楽担当であるハロルド・フォルターメイヤーとキース・フォーシーのペンによるシンセ多用したポップロック曲は、前作『ビバリーヒルズ・コップ』で「ヒート・イズ・オン」を歌っていたグレン・フライが歌う予定だったが、フライ用意されていた歌詞が気に入らず、さらにレコーディング直前喉頭炎かかったため、代わりにシーガーが歌うことになったコーラス部以外の歌詞シーガーにより書き換えられたこの曲は、同年8月1日シーガーにとって初の(そして唯一の全米シングルチャート1位を記録する

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