命名の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 08:59 UTC 版)
当初は他の惑星と同じように、小惑星に対してもローマ神話の神の名が与えられていた。やがて小惑星が多数見つかるようになると、他の神話の神や文学作品の登場人物、あるいは実在した人物や地名なども用いられるようになった。なお、初期に見つかった小惑星に女神の名が付けられたことから、男性の名前でも女性化して命名されていた。例としては (511) ダビダ(デイヴィッド・トッド (David Tod) →Davida)などがある。そして、1896年に最初の地球軌道に接近する小惑星、1906年に最初のトロヤ群小惑星が発見されると、それらのように特異な軌道を持つ小惑星には男性名(神または英雄など)が付けられることになった(上記の2個はそれぞれ (433) エロス、(588) アキレスと命名された)。その後、小惑星の数が更に増加するにつれて名前の数が足りなくなる恐れが出てきたため、比較的自由な命名が許されるようになった。 第二次世界大戦後、アメリカ合衆国内に小惑星センターが設立され、小惑星および彗星の観測記録や番号登録、命名などを小惑星回報 (MPCs) として公表するようになり(戦前はベルリンに同様の業務を行う機関があったが、詳細は不明)、後に電子化 (MPECs) されている。しかし、すでに発見された小惑星との軌道の同定に手間取ることが多く、加えて20世紀末に小惑星の発見数が急増すると、提案された名前を審査するのが追いつかなくなり、固有名を付けるのをやめようという意見まで出るに至った。2003年、国際天文学連合総会第20委員会において、発見者1人当たり1ヶ月に1個以上の命名提案を控えるよう求めることが決定された。ただしそれは絶対ではなく、適切な理由があれば複数同時提案も認められる。例えば2012年には、東日本大震災で大きな被害を受けた地域に由来する小惑星の命名が、同一発見者の小惑星12個に対して同時にされたことがある。その一方、小惑星番号が付いてから10年以内に名前を提案しないと、命名権を放棄したと見なされるという「10年ルール」も存在する。こうしたことから、発見数に比して命名された小惑星の割合はあまり多くない。 MPCsによって名前とその由来が公表されるようになったのは、小惑星番号にして概ね1500番台以降である。1998年末以降に命名された小惑星(3000番台から9000番台の一部と、10000番台以降のすべて)については、ジェット推進研究所の小天体データベースにほぼ例外なくMPECsの命名文が収録されている。Lutz D. Schmadel の“Dictionary of Minor Planet Names”(2006年に第5版、2008年にその補遺が発行された)には、それまでに命名されたすべての小惑星が掲載されているが、MPCs以前に命名されたものについては由来が不明な場合もある。
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