命名の根拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/27 15:49 UTC 版)
岡田は倭王禰(でい)について、『宋書』にいう倭王賛・珍・済の三兄弟の父、『日本書紀』にいう履中天皇・反正天皇・允恭天皇の三兄弟の父仁徳天皇に比定する。また、済の二子興・武を日本書紀にいう安康天皇・雄略天皇の兄弟に比定している。 禰(仁徳天皇)┬賛(履中天皇) ├珍(反正天皇) └済(允恭天皇)┬興(安康天皇) └武(雄略天皇) 禰の名は、『宋書』に収録されている、倭王武が487年に中国南朝の宋に送った表における下記の一節による。 昔より祖禰は、躬(み)に甲冑を貫(まとい)て、山川を跋渉し、寧(やすらか)に處(お)るに遑(いとま)あらず。東は毛人の五十五国を征し、西は衆夷の六十六国を服し、渡りて海北の九十五国を平ぐ。 岡田は「祖禰」について、 「ここの「祖禰」は「祖父である禰」の意味で、「禰」は雄略天皇の祖父にあたる仁徳天皇の名前である。 倭王・武が四八七年に中国の宋朝あての手紙で「祖禰」すなわち祖父なる「禰」の世代以来、海内・海外の征戦に従事してきた、と言っていることで、すくなくとも賛・珍・済の前にもう一代の倭王がなければならない。 と解釈し、「禰(でい)」を、倭の五王に先立つ「最初の倭国の王」、「河内王朝の開祖」の名だとみなしている。 しかし「祖禰」は漢籍に頻出する語であり、『宋書』でも他に、「卷十六 志第六 禮三」に4箇所、「卷十七 志第七 禮四」に2箇所、「卷六十 列傳第二十 荀伯子」に1箇所みえ、固有名詞とみなすのはやや無理がある。
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