君よ憤怒の河を渉れ
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『君よ憤怒の河を渉れ』(きみよふんぬのかわをわたれ)は1974年発行の西村寿行の小説。またそれを原作として大映・永田プロが製作し、1976年(昭和51年)2月11日に松竹系で封切り公開された日本映画は『君よ憤怒の河を渉れ』(きみよふんどのかわをわたれ)と漢字表記は同じだが異なる振り仮名である。
- ^ 「興行価値 日本映画 成功するか大作2本立」『キネマ旬報』1982年(昭和57年)4月下旬号、キネマ旬報社、1982年、180頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「永田さんの一徹、城戸会長を動かす 再起映画、松竹が配給 『君よ憤怒の―』やっと撮影へ」『サンケイスポーツ』産業経済新聞社、1975年9月5日、13面。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 「映画界東西南北談議 各社早くも夏季大攻勢に大童わ 永田雅一氏、プロデューサーとしてカムバック」『映画時報』1975年5月号、映画時報社、34–36頁。
- ^ 「映画界東西南北談議 企画製作にもっと自信をもて 下半期の見通しも苦難の道か?」『映画時報』1975年8月号、映画時報社、37頁。
- ^ 「ポスター『君よ憤怒の河を渉れ』」『月刊ビデオ&ミュージック』1976年1月号、東京映音、23頁。
- ^ 杉作J太郎、植地毅『東映スピード・アクション浪漫アルバム 『坂上順インタビュー』』徳間書店、2015年、49頁。ISBN 978-4-19-864003-3。
- ^ a b c d e f 「ビジネス・ガイド永田プロ第一作開始来年二月松竹系公開」『月刊ビデオ&ミュージック』1975年10月号、東京映音、44頁。
- ^ a b c 「なになにッ! "寅さんで初笑い"絶望か 城戸御大の説得にかかる」『サンケイスポーツ』産業経済新聞社、1975年9月9日、11面。
- ^ a b c 「早速永田ラッパ『君よ憤怒の―』撮影入り」『サンケイスポーツ』産業経済新聞社、1975年9月21日、11面。
- ^ a b c 「【ひと】 櫻井勉(本作製作主任)プロデューサーインタビュー 『ラインプロデューサーとして約50年にわたって撮影現場一筋』」『文化通信ジャーナル』2019年2月号、文化通信社、68頁。
- ^ a b 福島香織 (2014年11月26日). “中国人が愛した高倉健 文化の力、再考”. 日経ビジネス (日経BP) 2017年2月18日閲覧。
- ^ “中野良子、高倉健さんしのび涙 結婚報告時に「真っ赤なバラを送って下さった」と告白”. 映画.com. (2015年10月26日)
- ^ “中野良子「何が起こっても克服」健さんの思い出語る”. 日刊スポーツ. (2015年10月26日)
- ^ 中島恵 (2021年4月3日). "俳優の田中邦衛さん死去。中国で有名なのは『北の国から』よりも、あの日本映画だった". エキスパート - Yahoo!ニュース. Yahoo Japan. 2024年3月23日閲覧。
- ^ “福山雅治、ジョン・ウー監督作「追捕」イベントで「アクション撮影が楽しみ」”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2016年6月20日) 2016年6月20日閲覧。
- ^ “福山雅治:主演映画の邦題「マンハント」に決定 特報&ポスター解禁 ジョン・ウー監督最新作”. まんたんウェブ (MANTAN). (2017年11月21日) 2017年11月21日閲覧。
- 1 君よ憤怒の河を渉れとは
- 2 君よ憤怒の河を渉れの概要
- 3 関連書籍
- 4 脚注
固有名詞の分類
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