徳間時代とは? わかりやすく解説

徳間時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 06:59 UTC 版)

大映」の記事における「徳間時代」の解説

1974年昭和49年労働組合徳間康快社長率い徳間書店経営再建合意破産した大映株式会社代わり9月新たな法人として資本金2億円で大映映画株式会社設立し徳間書店傘下映画製作子会社となる。この時点制作映画配給他社制作映画配給本業で、かつての同業他社であった東宝中心に東映松竹といったところに委託するようになった大映映画株式会社は後に大映株式会社社名変更した1977年昭和52年大映映画撮影所配給部門を別会社切り離して大映映画撮影所大映映画京都撮影所大映配給大映映像の4子会社分割された。大映京都撮影所大映映画撮影所貸しスタジオ)となるなど、土地資産売却人材合理化負債減らしていった。徳間書店出版する小説原作とした『君よ憤怒の河を渉れ』(永田雅一映画界復帰した最初作品でもある)や『黄金の犬』などの製作が始まる。 1982年昭和57年国交10周年記念した日中合作映画未完の対局』が公開され、「永田大作路線」に続く「徳間超大作路線」が始まる。以後大映は、徳間書店東光徳間事業本部東光徳間)と共同中国映画韓国映画買い付け配給なども手掛けた1986年昭和61年京都太秦大映映画撮影所を完全閉鎖し跡地売却する1987年昭和62年SF大作首都消失』を公開する1988年昭和63年当時史上最大45億円」を投じた日中合作超大作映画敦煌』を公開する1992年平成4年25億円を投じてロシア撮影したおろしや国酔夢譚』を公開する。 これら「超大作路線」による借入金増大バブル崩壊などにより、大映のみならず徳間書店グループ自体累積赤字膨らんだその後平成ガメラシリーズや『Shall we ダンス?』など佳作にも積極的に出資してヒットつなげたものの、徳間書店住友銀行管理下におかれることとなり、大映売却取り沙汰され始めた2000年平成12年徳間康快死去2002年平成14年7月 徳間書店同業角川書店大映保有する映画とその配給およびビデオ制作調布市大映スタジオ多摩川撮影所)の運営など、全事業売却することで合意する11月角川映像子会社株式会社角川大映映画」が設立され大映営業権従業員のすべてをこれに移譲し、ここに大映60年歴史事実上幕を下ろした法人自体2003年1月解散2007年4月清算結了し名実共に消滅している。

※この「徳間時代」の解説は、「大映」の解説の一部です。
「徳間時代」を含む「大映」の記事については、「大映」の概要を参照ください。

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