名詞の格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:59 UTC 版)
名詞および動詞・形容詞・形容動詞は、それが文中でどのような成分を担っているかを特別の形式によって表示する。 名詞の場合、「が」「を」「に」などの格助詞を後置することで動詞との関係(格)を示す。語順によって格を示す言語ではないため、日本語は語順が比較的自由である。すなわち、 桃太郎が 犬に きびだんごを やりました。 犬に 桃太郎が きびだんごを やりました。 きびだんごを 桃太郎が 犬に やりました。 などは、強調される語は異なるが、いずれも同一の内容を表す文で、しかも正しい文である。 主な格助詞とその典型的な機能は次の通りである。 助詞機能使用例が 動作・作用の主体を表す。 例:「空が青い」、「犬がいる」 の 連体修飾を表す。 「私の本」、「理想の家庭」 を 動作・作用の対象を表す。 「本を読む」、「人を教える」 に 動作・作用の到達点を表す。 「駅に着く」、「人に教える」 へ 動作・作用の及ぶ方向を表す。 「駅へ向かう」、「学校へ出かける」 と 動作・作用をともに行う相手を表す。 「友人と帰る」、「車とぶつかる」 から 動作・作用の起点を表す。 「旅先から戻る」、「6時から始める」 より 動作・作用の起点や、比較の対象を表す。 「旅先より戻る」、「花より美しい」 で 動作・作用の行われる場所を表す。 「川で洗濯する」、「風呂で寝る」 このように、格助詞は、述語を連用修飾する名詞が述語とどのような関係にあるかを示す(ただし、「の」だけは連体修飾に使われ、名詞同士の関係を示す)。なお、上記はあくまでも典型的な機能であり、主体を表さない「が」(例、「水が飲みたい」)、対象を表さない「を」(例、「日本を発った」)、到達点を表さない「に」(例、受動動作の主体「先生にほめられた」、地位の所在「今上天皇にあらせられる」)、主体を表す「の」(例、「私は彼の急いで走っているのを見た」)など、上記に収まらない機能を担う場合も多い。 格助詞のうち、「が」「を」「に」は、話し言葉においては脱落することが多い。その場合、文脈の助けがなければ、最初に来る部分は「が」格に相当すると見なされる。「くじらをお父さんが食べてしまった。」を「くじら、お父さん食べちゃった。」と助詞を抜かして言った場合は、「くじら」が「が」格相当ととらえられるため、誤解の元になる。「チョコレートを私が食べてしまった。」を「チョコレート、私食べちゃった。」と言った場合は、文脈の助けによって誤解は避けられる。なお、「へ」「と」「から」「より」「で」などの格助詞は、話し言葉においても脱落しない。 題述構造の文(「文の構造」の節参照)では、特定の格助詞が「は」に置き換わる。たとえば、「空が 青い。」という文は、「空」を題目化すると「空は 青い。」となる。題目化の際の「は」の付き方は、以下のようにそれぞれの格助詞によって異なる。 無題の文題述構造の文空が青い。 空は青い。 本を読む。 本は読む。 学校に行く。 学校は行く。(学校には行く。) 駅へ向かう。 駅へは向かう。 友人と帰る。 友人とは帰る。 旅先から戻る。 旅先からは戻る。 川で洗濯する。 川では洗濯する。 格助詞は、下に来る動詞が何であるかに応じて、必要とされる種類と数が変わってくる。たとえば、「走る」という動詞で終わる文に必要なのは「が」格であり、「馬が走る。」とすれば完全な文になる。ところが、「教える」の場合は、「が」格を加えて「兄が教えています。」としただけでは不完全な文である。さらに「で」格を加え、「兄が小学校で教えています(=教壇に立っています)。」とすれば完全になる。つまり、「教える」は、「が・で」格が必要である。 ところが、「兄が部屋で教えています。」という文の場合、「が・で」格があるにもかかわらず、なお完全な文という感じがしない。「兄が部屋で弟に算数を教えています。」のように「が・に・を」格が必要である。むしろ、「で」格はなくとも文は不完全な印象はない。 すなわち、同じ「教える」でも、「教壇に立つ」という意味の「教える」は「が・で」格が必要であり、「説明して分かるようにさせる」という意味の「教える」では「が・に・を」格が必要である。このように、それぞれの文を成り立たせるのに必要な格を「必須格」という。
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