収監、『告白』、流刑とは? わかりやすく解説

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収監、『告白』、流刑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 17:10 UTC 版)

ミハイル・バクーニン」の記事における「収監、『告白』、流刑」の解説

バクーニン政治犯収容所として知られるペトロパヴロフスク要塞移送された。監獄生活入ったバクーニンのもとを皇帝ニコライ1世使者オルロフ伯爵訪れ告白書の提出求めたバクーニン精神的にロシア国家の支配下置こうという意図であったバクーニンは、自身活動は既に知られており今更明るみに出す秘密もないと告白書に記し他の活動家たちの名前を挙げることを頑なに拒否した手紙読んだニコライ1世は「気概のある見上げた男だが、危険人物だ。監視怠ってならない」と評した。この『告白』はロシア帝国記録文書として保管されいたものであり、内容議論余地大いに残すものだが、ロシア文学文脈において位置づけられることがあるバクーニンペトロパヴロフスク要塞地下牢三年幽閉されたのち、シュリッセリブルク監獄4年を過ごす。まともな食事取れるような環境ではなくバクーニン壊血病にかかり、全ての歯が抜け落ちてしまったという。バクーニンはのちに、ギリシア神話プロメーテウス思い起こすことで心の慰めとしていたとこの頃振り返っている。あまりに過酷な状況下での監禁生活続き兄弟毒薬差し入れ懇願するほどであったニコライ1世死後皇位継いだアレクサンドル2世は、恩赦名簿からバクーニンの名を削除した。しかし1857年2月バクーニン母親による請願聞き入れられ処刑回避西シベリア都市トムスクへの終身流刑となったトムスク到着して一年のうちに、ポーランド人商人の娘で、バクーニンフランス語教わっていた女性、アントニア・クヴャトコフスカと結婚した1858年8月バクーニンのはとこに当たるムラヴィヨフ伯爵彼のもとを訪れる。ムラヴィヨフ10年前から東シベリア州の総督つとめていた。 ムラヴィヨフリベラルな気質で、親戚筋のバクーニンに非常に好感抱いた1859年春、ムラヴィヨフからアムール開発事業局の仕事紹介されバクーニンは妻とともに東シベリア中心都市イルクーツク移りムラヴィヨフ治め植民事業拠点である同地イルクーツク活動中心とする政治サークル一員となったサンクトペテルブルク官僚政治シベリア不満分子追放先として利用していたこともあり、バクーニン中央政府側の入植地対す扱い憤慨した。「シベリア合州国」の樹立提案されたが、これはシベリア地域ロシア帝国から独立してシベリア・アメリカ連合形成しようという構想で、アメリカ独立の例にならったのである。この政治サークルには、ムラヴィヨフ若き部下にしてクロポトキン縁者であり、ゲルツェン著作集所持していた参謀長のクーケリをはじめ、書簡送受のため自分住所バクーニン貸した民政長官のイズヴォルスキー、ムラヴィヨフ副官でのちの総督アレクサンドル・ドンデュコフ=コルサコフ将軍などが所属していた。 ゲルツェンが『コーロコル』誌でムラヴィヨフ批判した時、バクーニン自身後見人であるムラヴィヨフ真摯に擁護したバクーニンシベリアでの外商業務嫌気がさしつつあったが、ムラヴィヨフお陰で閑職とはいえほとんど働かずに年2千ルーブル収入を得ることができていたのである。だがムラヴィヨフ総督の任を追われることになる。理由としては彼が自由主義的思想持ち主であったこと、そしてシベリア独立運動起こすおそれがある判断されたことなどが挙げられるコルサコフがその任を継いだが、彼はシベリア流刑に対して更に同情的であったとも考えられている。コルサコフ従姉妹バクーニン兄弟パヴェル結婚しており、彼もまたバクーニン縁者であったコルサコフバクーニン要望応じ、川が凍結する時期イルクーツクに戻るという条件付きで、アムール川および支流通航する船舶への乗船許可証発行した

※この「収監、『告白』、流刑」の解説は、「ミハイル・バクーニン」の解説の一部です。
「収監、『告白』、流刑」を含む「ミハイル・バクーニン」の記事については、「ミハイル・バクーニン」の概要を参照ください。

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