医薬品卸再編とメディセオ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 07:16 UTC 版)
「メディセオ」の記事における「医薬品卸再編とメディセオ」の解説
医薬品卸の再編成の始まりは、昭和40年代の「現金添付販売」(現在は違法)であった。大型卸は対応ではきたが中小の卸では経営が行き詰まり「医薬品製造メーカー」が「卸の救済」と「メーカーの債権保全」の為に合併を進めた。その為各卸には、メーカーの資本が入りメーカー系列卸が誕生する。武田薬品・塩野義製薬・田辺製薬・三共・大正製薬系列が多数全国に存在するようになる。 武田薬品は、医家向け製品の売上高がトップであり販売力は他の製薬会社を圧倒していた。各地域のトップ卸は大方武田薬品系(武田製品を主力に販売することを基本方針としている武田薬品の重点取引卸)であった。その為「三共」「塩野義製薬」「田辺製薬」は対抗上、その地区のシェア二番目、三番目の卸に資本を投資、又派遣社員を出向させる方法で重点卸に仕上げることも多かった。この傾向は、関西地区から始まり全国に波及していく。販売力の弱い卸は、同系列の卸に「卸部門」を譲渡したり、また廃業したりして自然と淘汰され、残った卸はメーカー系列色を強めていった。 その後、しばらくは比較的安定した経営環境が維持されてきていたが、度重なる薬価の大幅な引き下げに加えて、平成4年にメーカーによる事後値引補償による実質的な再販売価格維持の禁止をメインにした「建値制」が実行され、価格決定権がメーカーから卸に移行したことで、医薬品卸各社のシェア競争激化から収益は急激に悪化し、再び業界は激しい合従連衡の波に揉まれだすことになった。建値制以前は同じ地区同士でのM&Aが中心であったが、建値制以後は商圏域の違う系列卸どうしで合併・業務提携が進み、首都圏・近畿圏の大手卸は、その中でその規模の大きさを武器に中心的な存在感を強めていった。 その渦中でも、武田薬品の取引最大手であり、当時首都圏のトップ卸であったクラヤ薬品と武田薬品、取引全国2位で近畿圏のトップであった三星堂、首都圏を基盤として武田薬品の100%子会社であった東京医薬品の3社合併による2000年のクラヤ三星堂の誕生は、業界全体に驚きを持って受け止められると同時に新たな時代の到来を予感させる一大事件であった。3社はいずれも武田薬品を主力とした卸であったため、この再編の背後には武田薬品の意向が色濃く反映されているであろうことが容易に想像された。これまで販売面でクラヤ薬品や三星堂をはじめとする系列卸を市場で競争させることを自社の売上高増大、発展に繋げてきた武田薬品が考え方を方向転換したと受け止められたことも、この合併をエポックメイキングなものと感じさせる要因となった。この合併によりクラヤ三星堂が売上規模で全国首位であったスズケンを抜き、全国トップ卸の座を手中にしたことを契機に、日本国内医薬品流通はクラヤ三星堂・福神・スズケン・東邦薬品の国内大手4社を中心とした全国規模での大再編へと大きく進み始めることになったのである。 その後、クラヤ三星堂を中核とし、持株会社として発足したメディセオホールディングス(現・メディパルホールディングス)は、全国各地区の武田薬品と関係の深い卸を傘下に収め、国内最大の医薬品卸売企業の地位を磐石にした。2005年10月には、一般用医薬品・日用雑貨卸のパルタック(現・PALTAC)と提携する道へ進み、医薬品卸は業種を超えて新たな業態を求める方向へ進み始めた。 そして、2009年10月にはグループ内の再編により、千秋薬品・潮田クラヤ三星堂・クラヤ三星堂・やまひろクラヤ三星堂・平成薬品・井筒クラヤ三星堂の6社が統合し、メディセオとなった。今後も、流通の効率化を目的に他業種・業界との提携、再編をも含めた活路を模索する動きは続いていくと予想されている。 なお、当社の親会社であるメディパルホールディングスは現在も武田薬品が筆頭株主となっているが、同業他社であるアステラス製薬・第一三共・大日本住友製薬・小林製薬も主要株主(大株主)として同社に出資している。
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