労働組合、モリーズ、AOH
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「モリー・マグワイアズ」の記事における「労働組合、モリーズ、AOH」の解説
現在の研究者たちの間で、激しく論争されている論点のひとつは、労働者共済組合 (WBA)、モリーズ、そしてその隠れ蓑になっていると噂された古ヒベルニア騎士団(Ancient Order of Hibernians, AOH) の関係である。歴史家ケビン・ケニーは、有罪判決を受けた男たちは全員がAOHのメンバーであったこと指摘した上で、しかし、「モリー・マグワイアズ自体は、その目的や動機はもちろん、それが存在したという証拠さえ、事実上、何も残さなかった」と記している。 ジェームズ・マクパーランドは調査に入る前からもっていた個人的知識に基づいて、活動に圧力が加えられたモリー・マグワイアズが、新たに Ancient Order of Hibernians (AOH) と名乗るようになったのだ、と考えていた。マクパーランドは調査開始後、スクールキル郡には AOH の会員が450人ほどいると推定していた。ケニーは AOH を「平和的な社交組織」と見ているが、同時に、1870年代のピンカートン探偵社が、ペンシルベニア州においてAOH の会員が多い地域と、その地域へ多くの移民を送り出していたアイルランドの地域との相関と突き止めていたことも指摘している。アイルランドの暴力的傾向が強い地域と、ペンシルベニア炭田で暴力が生じていた地域は、対応関係があるとされた。 ジェームズ・マクパーランドの足跡を追った著書『Big Trouble』の中で、アンソニー・ルーカスは次のように記している。 WBAを運営していたのは、断固として暴力に反対だった(イングランドの)ランカシャー出身者たちだった。しかし、(ゴウエンは)労働組合にモリーズの色を塗る機会があると考え、実行し、州の調査委員会でそのように証言した...「私はこの労働者共済組合が犯行に及んだと非難しているのではありませんが、申し上げたいのは、夜、密かに誰それの命を奪うべしなどと投票するような組合が存在しているということです...私はこの組合を非難しているのではなく、犯行を実行したもうひとつの組合を非難しているのであります。それから、撃たれた男たちは労働者共済組合の指示に敢えて従わなかった男たちばかりでした。」 ピンカートン探偵社のエージェントであるマクパーランドがスクールキル郡に存在していると推定した450人のAOH会員のうち、400人ほどは労働組合にも入っていた。しかし、ケニーは次のような見方をしている。 モリー・マグワイアズの立場と、一人前に成長した労働組合の立場は、根本的に異なる組織形態、抗議形態をとっていた。 ケニーはまた、当時のペンシルベニア州産業統計局 (Pennsylvania Bureau of Industrial Statistics) が、労働組合と、モリー・マグワイアズによるとされた暴力とをはっきり区別していたことも指摘している。産業統計局の報告書によれば、暴力沙汰の歴史は南北戦争当時にまで遡ることができるが、WBA は報告書の時点で結成から5年しか経っておらず、その間に「雇用者と非雇用者の間の関係」は大きく改善されてきた、とされていた。産業統計局は、労働組合の存在が、「犯罪のカーニバル」状態を終わらせたのだ、と結論づけている。ケニーはさらに、WBA の指導者たちはモリー・マグワイアズに対して「常に、誰もが反対していた」ことも指摘してい。 ケニーは、続けて次のように述べている。 大多数のアイルランド系炭鉱労働者は WBA に所属しており、1872年当時の執行役員の概ね半数はアイルランド系の名前が占めていた。しかし、WBA に加え、モリー・マグワイアズと呼ばれる緩やかな組織が存在しており、その構成員はアイルランド系だけであった...双方の組織形態は...無煙炭地域における生活と労働の条件を改善しようとするものであった。しかし、労働組合の戦略が、間接的、段階的、平和的なものであり、無煙炭地域に広がる体系的な組織化を目指していたのに対して、モリー・マグワイアズのそれは直接的、暴力的、散発的で、特定の局地的な範囲に留まるものであった。 ケニーの見るところでは、熟練を要する職の大部分を占めていた(アイルランド以外の)イギリス出身の坑夫と、未熟練労働に従事する多数のアイルランド系労働者の間には、しばしば緊張関係も生じていた。しかし、そのような相違にも関わらず、WBA は対立に解決策を提示し、ほとんどの場合において、相違を克服していく「すばらしい仕事をしていた」という。 炭鉱労働者であれば誰でも、職種、出身国、信仰などに関係なく、WBAに加盟することができた。結果的に、WBAは何人かの「モリー・マグワイアズ」組織の中に抱えていたに相違ない。WBAの組織には、AOHのメンバーも多数いたし、労働組合の一部不満分子は、特に対立が激化した1875年には、指導者たちの意向に反して暴力を好んだという証拠もある。しかし、WBA の指導者には、モリーズに与する者はいなかったし、彼らは機会があるたびにモリー・マグワイアズを非難し、労働争議戦略としての暴力を非難していた。労働組合と秘密結社の構成員の間に、何らかの重なりがあったことは疑いないが、両者はイデオロギーにおいても、組織においても、別物であったと見なければならない。 WBAとモリーズの関係がどのようなものであったにせよ、両者の運命は絡み合ったものになった—それは、少なくとも部分的には、権力ある立場にいた者の多くが、両者の間の違いを認めようとしていなかった結果でもあった
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