労働党の指導者とは? わかりやすく解説

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労働党の指導者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 17:42 UTC 版)

ジョージ・ランズベリー」の記事における「労働党の指導者」の解説

2年後内閣退陣余儀なくされるマクドナルドイギリス挙国一致政府をつくるため、労働党との関係を断ち切り、党は1931年の総選挙敗北した。党の新しリーダーアーサー・ヘンダーソンとその脇を固め幹部はみな敗北喫したランズベリー唯一の例外で、彼が1931年議会労働党議長になった。それに続く数年の間にヘンダーソンは党を巡るいたるところ影響力失いランズベリーその後継者になった1933年6月フルハム東地区の選挙で、ナチス・ドイツの再武装とそれに引き続き起きた国際連盟からの脱退が、選挙の争点となったランズベリーは、長くキリスト教平和主義者でもあったので、党首としての立場有権者たちに次のようなメッセージ送った。 「私はすべての新兵募集所を閉鎖しイギリス陸軍解散しイギリス空軍なくしてしまいたいと思う。私は戦争まつわるすべての忌まわしいものを消し去ってしまいたいのです。そして、世界向かって、「汝、忌まわしきものよ」と叫びたいのです。」 平和主義者としてのランズベリーは、自分率いている党の外交政策次第違和感抱き機会あるごとに党首辞任申し出るが、議会同僚たちはそれを説得して思いとどまらせた。これは他に指導者の器となる人物がいなかったためだけではない。しかし、1935年にはその不一致はますます深刻で、しかも公然のものとなる。労働党内の多く人々、特にアーネスト・ベヴィン率いられ労働組合派は、アビシニア攻撃したイタリア対す制裁措置賛同するよう党に迫ったランズベリー基本的にはこれに不賛成であった労働党党大会までの数週間の間に、ランズベリー地位かなりの弱体化陥った。ここにいたって貴族院労働党指導者であったアーサー・ポンソンビーと、各方面からランズベリー政治的後継者目されていた労働党論客重要人物一人でもあったスタフォード・クリップスの2人が、彼らも制裁反対だったのだが、自分たちがその日主要な政治課題に不賛成立場を採ったら党を指導していくのはもはや困難になるだろう、ということでその職を辞したランズベリーはいまだ党内では絶大な人気博していたとはいえ、人は彼の指導力どうやって持ちこたえられるかと懸念した党大会では議員たちが壇上並んだ外交政策についての議論の中で、アーネスト・ベビンがランズベリー攻撃仕掛けた投票惨敗しランズベリーは党主の座を降りる決心をした。その直後招集され労働党下院議員集まりで、彼の退陣不承不承ながら受け入れられた。一部には継続して支持するという議員もいた。というのも多く議員は、ランズベリー退陣となると次の党首が、ベビン同様労働組合派に強く傾斜しているアーサー・グリーンウッドになると予想したためである。下院議員の間での投票では、38対7ランズベリー辞意不承となった。しかし、ランズベリー辞職固執した。事ここにいたって当初一時的なポスト考えられたが)後継者を選ばなくてはならないことになり、グリーンウッドの名は挙がらず、党は満場一致クレメント・アトリー選出したランズベリーは、ノーモア・ウォー運動(the No More War Movement)の議長務めた1936年から1940年まで国際反戦運動the War Resisters' International)の議長1937年から1940年には平和誓約ユニオンPeace Pledge Union)の会長務めたランズベリーは、イギリススペイン内戦対す政治姿勢批判しスペイン平和主義者ホセ・ブロッカとも手をつないで活動した第二次世界大戦食い止めようと彼は、国際的な調停のための大使として、アドルフ・ヒトラーベニート・ムッソリーニなどヨーロッパ主要な政治指導者のもとを回ったアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトのもとも訪問している。 ランズベリー1940年5月7日北ロンドンマナーハウス病院において、がんで亡くなった81歳だった。

※この「労働党の指導者」の解説は、「ジョージ・ランズベリー」の解説の一部です。
「労働党の指導者」を含む「ジョージ・ランズベリー」の記事については、「ジョージ・ランズベリー」の概要を参照ください。

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