労働党の現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/05 09:11 UTC 版)
労働党の特筆すべき事業として、1993年に当時首相であったイツハク・ラビンが、長年敵対していたパレスチナ解放機構のヤーセル・アラファート議長と和解し、パレスチナ自治政府樹立にこぎつけたことが挙げられる。 しかし、ラビンが1995年11月4日にパレスチナとの和解に反対する極右思想を持つ青年イガール・アミルに暗殺されて以降、党勢が衰退し始める。1996年の総選挙では、ベンヤミン・ネタニヤフ率いるリクードが再度政権を奪取。 以降現在に至るまでのイスラエルは、左右・そしてアラブ系の政治家たちがそれぞれの思惑で政争に明け暮れる現状が続いている。イスラエル国民の政治に対する考えは、パレスチナでのハマースの跋扈に対する危機感などから右傾化が進行しており(我が家イスラエルの躍進などに見て取れる)、更に、2011年には当時の労働党党首エフード・バラックらの集団離党(新党「アツマウート」旗揚げ)により、労働党は議席を一桁台にまで落とし、存在感が薄れている。
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