1931年の総選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 03:45 UTC 版)
「スタンリー・ボールドウィン」の記事における「1931年の総選挙」の解説
9月28日の閣議で保守党閣僚は関税改革を争点とした総選挙を要求。しかし労働党・自由党出身閣僚はこれに反対した。ボールドウィンは各政党は争点の上で自由行動をとってもよいという妥協案を考えだし、翌日の閣議でチェンバレンが「関税改革は選挙後の新内閣によって考慮されるという条件で選挙では自由行動をとる」という妥協案で具体化。各政党間の折衝が行われたのち、10月5日に各党自由に選挙綱領を発表することが決定された。 マクドナルド挙国一致内閣のもとで総選挙に臨むことになったボールドウィンは、これまでのような労働党攻撃よりも「健全な、明確な、名誉ある財政」「安全第一」といった保守党の安定性を売りにするスローガンを掲げた。10月20日のリーズでの演説では「結局、基本的争点は何であるか。それは社会主義でもないし、個人主義でもない。また自由貿易でも保護貿易でもない。それは次のようなところにある。諸君の財産、食料、雇用に損害を与えることなく、国民を指導する大政党から選ばれた政府に、この国の運命を、諸君が委任しえるか否かということである」と述べた。 10月27日の選挙の結果、挙国政府陣営は521人を当選させ、野党(ヘンダーソン率いる労働党52議席、サミュエル率いる独立自由党37議席)に大きく差をつけた。
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