1931年の橋
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1931年(昭和6年)9月に木造の仮設橋が架橋された。次いで、老朽化のため1937年(昭和12年)3月に架け替えが行われた。
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1931年の橋
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3代目の現行の秩父橋に対し本橋を旧秩父橋と称されている。橋は戦前の1930年(昭和5年)に着工され、翌年竣工した全長134.6メートルのRC上路開腹拱橋の3等橋である。橋の施工は斎藤組が担当した。総工費は94500円である。橋は1931年(昭和6年)5月に開通した。全幅員6.8メートル、有効幅員6.0メートル。径間割は主径間35メートルのコンクリート拱橋で3連あり、側径間10.3メートルのコンクリートT型桁で主径間の両側に1連ずつあり、合計5連である。橋の高さは河床より21メートルあり、橋脚のアーチ起拱部や支柱には優美な装飾が施されている。橋脚の設置位置は旧橋に合わせている。橋脚基礎は河床を約2メートル掘りコンクリートを打設した。また、橋脚基礎のフーチング(基底部)が露出している。舗装はアスファルトブロック舗装である。下流側にある同じコンクリート拱橋の皆野橋に似るが、本橋の方がアーチライズ比(アーチリブの高さと長さの比)が大きい。なお皆野橋の施工担当は当橋と同じ斎藤組である。高欄は鋼製であったが、戦時中の金属類回収令により橋灯と共に撤去され、替わりにコンクリート製の高欄に付け替えられた。 3代目の秩父橋に架け替えられられた後は橋としての役目を終えたが、この橋は多くの人々に愛され、秩父地方のシンボルでもあったことから地元の要望により土木資料として保存されることが決まり、埼玉県から秩父市に移管され、秩父市管理の橋となった後は橋灯や高欄が竣工当時の状態に復元され、橋上公園(人道橋)として整備され余生を送っている。1999年(平成11年)3月19日には埼玉県指定有形文化財に初代秩父橋の遺構(橋脚2基と親柱2本)と共に指定された。本橋梁は土木学会による「近代土木遺産2800選Bランク(県指定文化財クラス)」に選出されている。 近年主桁やアーチリブなどにコンクリートの剥離や内部の鉄筋露出など、著しい損傷が見られるようになり、2016年(平成28年)に法定点検を実施したところ、「判定区分III」の早期措置段階と診断された。2019年(令和元年)8月6日、国土交通省の直轄診断が本橋に対し実施された。
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