1931年の橋とは? わかりやすく解説

1931年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 14:59 UTC 版)

上平井橋」の記事における「1931年の橋」の解説

1931年(昭和6年)9月木造仮設架橋された。次いで老朽化のため1937年(昭和12年)3月架け替えが行われた。

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1931年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 07:49 UTC 版)

秩父橋」の記事における「1931年の橋」の解説

3代目現行の秩父橋対し本橋を旧秩父橋称されている。戦前1930年昭和5年)に着工され翌年竣工した全長134.6メートルRC上路開腹拱橋3等である。施工斎藤組が担当した総工費は94500円である。1931年昭和6年5月開通した全幅員6.8メートル有効幅員6.0メートル径間割は主径間35メートルコンクリート拱橋で3連あり、側径間10.3メートルコンクリートT型で主径間両側に1連ずつあり、合計5連である。の高さは河床より21メートルあり、橋脚アーチ起拱部や支柱には優美な装飾施されている。橋脚設置位置旧橋合わせている。橋脚基礎河床を約2メートル掘りコンクリート打設した。また、橋脚基礎フーチング基底部)が露出している。舗装はアスファルトブロック舗装である。下流側にある同じコンクリート拱橋皆野橋に似るが、本橋の方がアーチライズ比(アーチリブの高さと長さの比)が大きい。なお皆野橋施工担当は当と同じ斎藤組である。高欄鋼製であったが、戦時中金属類回収令によりと共に撤去され替わりコンクリート製高欄に付け替えられた。 3代目秩父橋架け替えられられた後はとしての役目終えたが、この多く人々愛され秩父地方シンボルでもあったことから地元要望により土木資料として保存されることが決まり埼玉県から秩父市移管され、秩父市管理となった後は灯や高欄竣工当時の状態に復元され橋上公園人道橋)として整備され余生送っている。1999年平成11年3月19日には埼玉県指定有形文化財初代秩父橋遺構橋脚2基と親柱2本)と共に指定された。本橋土木学会による「近代土木遺産2800選Bランク(県指定文化財クラス)」に選出されている。 近年主桁アーチリブなどにコンクリート剥離内部鉄筋露出など、著し損傷見られるようになり、2016年平成28年)に法定点検実施したところ、「判定区分III」の早期措置段階診断された。2019年令和元年8月6日国土交通省直轄診断本橋対し実施された。

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