1931年から1946年
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「ポール・ボウルズ」の記事における「1931年から1946年」の解説
フランスではガートルード・スタインの文学・芸術サークルのメンバーとなった。1931年夏、コープランドとモロッコのタンジールを訪問した。そこからベルリンに行き、ステファン・スペンダーとクリストファー・イシャーウッドと会見した。さらに翌年にかけてアルジェリアやチュニジアなど北アフリカを再訪した。 1937年、ニューヨークに戻り、管弦楽曲とオーソン・ウェルズやテネシー・ウィリアムズの舞台の付随音楽で作曲家としての地位を打ち立てた。1938年、作家・劇作家のジェーン・アウアーと結婚。それは奇妙な関係であった。彼らにはそれぞれ同性愛の愛人がいたが、良好な結婚生活を送っていたのである。短いフランス滞在の後、トムソンのもと『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙で音楽評論を手がけた。1943年にはガルシア・ロルカの詩をもとにしたオペラ『風は帰る』がマース・カニンガム振付、レナード・バーンスタイン指揮で初演された。彼の音楽はアフリカ、メキシコ、中央アメリカなど様々な要素のメロディーやリズムを同化したものであった。 1945年よりジェーンの影響で小説を書き始め、短編小説集を出版した。
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