創生伝承とは? わかりやすく解説

創生伝承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:33 UTC 版)

ウイグル」の記事における「創生伝承」の解説

ウイグル創生については、モンゴル帝国時代ペルシア語文献においていくつかの物語記されている。アラー・ウッディーン・ジュヴァイニー『世界征服者の歴史』(1260年編纂)とラシードゥッディーン集史』(1314年編纂完成)がある。 特に後者の『集史』ではテュルク・モンゴル系の諸部族イスラーム世界観枠内分類しており、これらを大洪水後現在の人類遠祖となったノアヌーフ)の3人の息子セムハムヤフェトのうちヤフェト(ヤーフィス)の子孫としている。 テュルク系種族ヤフェトの子孫とするのは『集史』以外にも見られるが、『集史』はこれにオグズ・カガン伝説絡めて述べているのが特徴であり、後世にもこの傾向受け継がれた。 ラシードゥッディーン集史ウイグル部族誌 (1314) 伝承:「ノアの子のアブルチャ・カン即ちヤフェトの子のディブ・バクイの子のカラ・カンの子オグズ( اوغوز پسر قرا خان پسز ديب باقوى پسر يافِث پسر نوح عليه السّلام Ūghūz pisar-i Qarā-Khān pisar-i Dīp Bāqūy pisar-i Abūlja Khān Yāfith pisar-i Nūḥ `alaihi al-salam.)は、唯一神アッラー)のみを信じたので、叔父達や兄弟から攻撃受けたが、彼はその親族一部援助受けて打ち破り彼等領地併合した。 彼は大会開き親族異姓集団・戦士達を鎮撫し、共に戦った親族人々に“ウイグル”の名を授けた古代:「ウイグリスターン地方 (wilāyat-i Ūyghūristān) には2つの非常に大きな山があり、ひとつはブクラト・ブズルク( بوقراتو بوزلوق Būqrātū-būzlūq)、もうひとつはウシュクンルク・タンクリム( اوشقون لوق تنكريم Ūšqūn-lūq-tankrīm)であった。そのふたつの間にはカラコルム山 (h-i Qarāqūrum) が鎮座しカアン(Qā'ān; オゴデイのこと)が建てられ都市はその山の名前にちなん呼ばれている。その山のそばにクト・タク( قوت طاق Qūt-ṭāq)と呼ばれている山がある。 その山々一帯には10本の河(が流れている)場所と、9本の河(が流れている)場所がある。古い時代には、ウイグル諸部族居住地は、これらの諸河川山々荒野 (ṣuḥrā-hā) にあった。 この10本の河にすむものたちがおり彼らはオン・ウイグル( اون اويغور Ūn Ūyghūr)と呼ばれ、9本の河にいるものはトグズ・ウイグル( توغوز اوغوز Tūghūz Ūyghūr)と呼ばれている。この10本の河はオン・ウルグン( اون اُرغون Ūn-Urghūn)と呼ばれている。 それらの名前を以下に説明すると、اييشلك Aīīšlik部族),اوتنكر Ūtinkar?(部族), بوقيز Būqīz(部族),اوزقندر Ūzqundur(部族),تولار Tūlār部,تاردار Tārdār(部族),ادر Adar部族もしくは ادر اوج Adar-Ūjか),اوج تابين Ūj-Tābīn(部族もしくは تابين Tābīnか), قملانجو Qamlānjū(部族),اوتيكان Ūtīkān(部族)である。3本河畔に9部が、次の4本の河畔に5部がいる。9本目の Qamlānjū の河沿いには オン部族( قوم اونك qawm-i Ūnkもしくは قوم لونك qawm-i Lūnkか)、10本目河畔に قمق آتی كوز Qamaq-ātī-z 部がある。その他名称不詳の部を含め122部がそれらの河に有った。数世代経ったウイグル諸部族には決まった君長(pādshāhī wa sar-varī)が居らず、各部武力争奪始めると別の集団から長を立てていた。 後に各部共同利益為に会議開き全体命令発する1人全権君主(pādshāhī muṭalliq-i amr ki bar hamganān nāfidh farmān bāshad)を自分達の中から出すことを決議全会一致満場意を受けて、アビシュリク( ابيشلك Abīšlik)部から最も聡明なマングダイمنكوتای Mankūtāī /ないしマング・バイ منكوباى Mankū-bāī)を選出、イル・イルテベル( ايل ايلتبر Īl-Īltabar)の称号授けたまた、ウズクンドゥル(اوزقندر Ūzqundur)部から品質性格良好な人物選んでキョル・イルキン( كول ايركين l-Īrkīn)の称号授けた彼等二人は全民族諸部族君主(pādshāh-i jumhūr wa aqwām)となり、彼等一族(ūrūgh/uruq)が100年統治した。」 アラー・ウッディーン・ジュヴァイニー『世界征服者の歴史』(1260) 「カラコルムから発するトグラ河とセレンガ川合流するカムランジュ( قملانجو Qamlānjū)に双樹があった。双樹の間の丘に天から光が降り注ぎ日ごと丘は大きくなった。やがて丘陵開き天幕張り5つ部屋現れる各々一人の子供が座っていた。5人の子供はこの土地人々から王子同じよう尊敬され長男はソンクル・テギン( سنقر تكين Sunqur Takīn/Sonqur Tegin)、次男はクトル・テギン( قوتر تكين Qūtur Takīn/Qotur Tegin)、三男はブカク・テギン( توكاك تكين Tūkāk Takīn/Tükel Tegin)、四男はオル・テギン( اور تكين Ūr Takīn/Or Tegin)、五男はブク・テギン( بوقو تكين Būqū Takīn/Buqu Tegin)と命名された。ウイグル人は彼らが天より降臨したものと信じ、彼らの一人君主戴くことにした。そこで、末子のブク・テギンが美貌才智に最も秀であらゆる言語と文字通じていたので、ウイグル人は彼を推戴してカン( خان Khān)とし、大祭催して玉座に就かせた」

※この「創生伝承」の解説は、「ウイグル」の解説の一部です。
「創生伝承」を含む「ウイグル」の記事については、「ウイグル」の概要を参照ください。

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