刑法の危険運転致死傷罪新設前の処理と改正運動
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「危険運転致死傷罪」の記事における「刑法の危険運転致死傷罪新設前の処理と改正運動」の解説
従来、交通事故の加害者には、故意がないことを前提として刑法第211条の業務上過失致死傷罪によって懲役5年以下の刑事罰で処理されてきた。しかし、モータリゼーションの進行により、1959年(昭和34年)に交通死者が初めて1万人を突破し、1960年(昭和35年)に、呼気に一定以上のアルコール分を含む酒気帯びでの運転禁止を定めた道路交通法の規定が制定されるという流れの中で、悪質な交通違反には刑が低すぎるとの理由により、業務上過失致死罪は1968年(昭和43年)にそれまで最高刑が「禁錮3年」だったものを「懲役5年」に引き上げる法改正(昭和43年法律第61号)が行われた。 1970年(昭和45年)、基準値以下を含めた飲酒運転が全面禁止となり、警察官に運転者を呼気検査する権限が与えられた。 2000年(平成12年)4月に神奈川県座間市の座間南林間線小池大橋で、検問から猛スピードで逃走していた、建設作業員の男が運転する自動車が歩道に突っ込み、歩道を歩いていた大学生2名を死亡させた事件が発生(小池大橋飲酒運転事故)。この容疑者の男は飲酒運転だけでなく無免許運転で、乗っていた車は車検を受けておらず、また無保険運行の、極めて悪質な状態であった。 この事故で息子を失った女性が「そもそも業務上過失致死傷罪は、モータリゼーションが発達していない時代(明治後期)にできた古い法律で、自動車事故を想定して作られたものではない。人命を奪っておきながら、5年以下の懲役・禁錮または50万円以下の罰金という、窃盗罪よりも軽い刑罰は、悪質な運転者が死亡事故を起こしている現状にそぐわないのではないか」と、厳罰化を求めて法改正運動を始めた。 その後、運動の趣旨に賛同する被害者遺族たちとともに全国各地で街頭署名を重ね(協力者の中には、東名高速飲酒運転事故で幼い娘2人を失った両親もいた)、2001年(平成13年)10月に法務大臣へ最後の署名簿を提出した時には、合計で37万4,339名もの署名が集まった。
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