再編成の成果など
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あまりにも複雑な改変だったため、ハロプロの組織構成を理解しているファン以外の理解が充分に得られなかった部分が多い。 タンポポはシングルCDを1枚リリース、プッチモニはオリジナル曲「WOW WOW WOW」をアルバムプッチベスト4に収録した後、それぞれ活動停止状態になった。この結果が期間限定ユニットに影響したという見解もある。この後、ごまっとう(2002年)、後浦なつみ(2004年)、DEF.DIVA(2005年)、GAM(2006年)、モーニング娘。誕生10年記念隊(2007年)、安倍なつみ&矢島舞美(℃-ute)(2008年)、High-King(同)といった人気の高いメンバーによる期間限定ユニットが誕生している。 また、ZYX・ROMANS・モーニング娘。さくら組・モーニング娘。おとめ組・あぁ!といった期間限定とはされていないものの、活動期間が短く、CDのリリースが1〜2枚で活動休止状態になるユニットが複数誕生した。 モーニング娘。卒業後の後藤真希は、ソロ活動が中心になると思われていたが、最初の音楽活動がごまっとう、続いて発売したソロシングルがカバー曲となり、ファンの期待とはやや違った活動となった。 ZYXはハロー!プロジェクト・キッズを子供に人気のミニモニ。元リーダー矢口真里と組ませることで、キッズを同世代へ浸透させることを狙ったようだが、充分な成果は得られなかった。ZYX、同じくキッズを含むユニットあぁ!はシングルCDをそれぞれ2枚、1枚リリースしたのみ(ともに公式な活動終了の発表はされていない)。 既存のモーニング娘。内ユニットへの5期メンバー(高橋愛・小川麻琴・紺野あさ美・新垣里沙)および他のハロプロユニット(メロン記念日・ココナッツ娘。)メンバーの参加はそれらの知名度向上を図ることが目的であったようだが、目立った効果は少なかった。ただし、メロン記念日はこの改変後の2003年にCDシングル「赤いフリージア」がオリコンのシングルチャートで週間10位を記録し、単独コンサートツアーを実現している。 ココナッツ娘。は、2002年以降CDシングルを発売していない状態のまま、ミカがハロプロを卒業、そして2008年4月30日のアヤカの事務所移籍に伴い、事実上解散してしまった。 2002年後期以降のオリコンのCDの売り上げが大幅に減少した。減少動向は1997年をピークとした音楽業界全体CD売り上げ全体のCD売り上げ減少時期に該当する。前作との比率はCD総生産枚数の2001年(4億8千万枚)から2002年(3億4千万枚)の比率71%の半分以下である。モーニング娘。の16thシングル「ここにいるぜぇ!」の初週売り上げが20万枚を割り込み、2003年から2005年まで10万枚に満たず、さらに29thシングル「SEXY BOY 〜そよ風に寄り添って〜」も5万枚(結成時のデビュー条件売り上げ)に満たなかった。また、5thアルバム「No.5」も初週で前作比40%未満、累計34%に減少した。 ミニモニ。の5thシングル「げんき印の大盛りソング/お菓子つくっておっかすぃ〜」(ミニモニ。と高橋愛+4KIDS)が初週で前作比33%未満、累計26%未満に減少した。 この出来事以降も多数のグループが形成されており(後述)新たな方向性を広げていると評価する意見もある。 既に「ハロプロ」という名称は(シャッフルユニットなどで)エンタメ情報に使用されていたが、改変の報道で「ハロー!プロジェクト」という名称を世間にアピールできたことで、「ハロー!プロジェクト」「ハロプロ」が改変前より認知された。その後、ハロプロ主催のオーディションへもつながった。 安倍なつみ以降、卒業後のビジョン(ソロ、ユニット活動で早期にアルバムをリリースするなど)を示すようになった。 卒業発表が半年以上前になり、モーニング娘。またはハロー!プロジェクトのコンサートの最終日が「卒コン(卒業コンサート)」となり、人気の公演となった。 売り上げの減少など改変による「負」の影響を嘆く意見がある一方、改変以降の視点で「その後のハロプロの状況から見れば、終末的雰囲気のハルマゲドンよりは始まりの意味で、ビッグバン」という意見もある。 総じて、ハロー!プロジェクト全体の転換点の一つと位置付けられている。
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