再編成と凋落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/01 05:32 UTC 版)
「ロジャーズ・ロコモティブ・ワークス」の記事における「再編成と凋落」の解説
トーマス・ロジャーズが1856年に死去すると、ロジャーズ・ロコモティブ・アンド・マシン・ワークスとして、投資家として残っていたケッチャム、グローブナーと、トーマスのの息子、ジェイコブ・S・ロジャーズはRK&Gを再編成した。 ロジャーズは、20年の間、機関車と織物機械を製造してきたが、ニュージャージー鉄道輸送のために1863年に最初の車輪配置2-6-0形機関車(しばしば、アメリカ合衆国で造られた最初の2-6-0と呼ばれる)を製造した。 1870年代中頃には、ロジャーズは織物機械の製造を中止し、機関車製造だけに集中するようになった。19世紀中頃のロジャーズの顧客は、機関車を購入し続け、ルイビル・アンド・ナッシュビル鉄道(L&N)は、ロジャーズが1879年に機関車を無料で贈与するなど、多くの機関車をロジャーズから購入した。 1887年、ルベン・ウェルズが工場長に就任した。ジェイコブ・ロジャーズは、1893年に70代後半で社長を辞任するまで、ウェルズに対するますます多くの責務を与えた。60年以上後に、ロジャーズ会社は、ロジャーズ家のものではなくなり、ジェイコブ・ロジャーズは、会社の主要な投資家のままであったものの、ロジャーズ・ロコモティブ社として、新任の社長(ロバート・S・ヒューズ)の下で再編成された。ヒューズは、1900年に死去するまで会社を運営した。その1年後、ジェイコブ・ロジャーズは、工場を閉鎖した。 ジェイコブ・ロジャーズが死去し、アメリカン・ロコモティブ社(ALCO)が8つの機関車メーカーの合併により成立した1901年、工場はロジャーズ・ロコモティブ・ワークスとして再開された。 ルベン・ウェルズは再び工場長を務めたが、競争は不利な状況に陥った。十分な設備投資が新しい機械や研究開発においてなされず、アルコとボールドウィン(当時、北アメリカで最も大きな機関車メーカーであった2社)は、あまりにも大きなシェアを占めており、ロジャーズが追随できないほどの大きなリードをつけていた。さらには、工場のあるパターソンの都市化にともなって、工場を拡大する余地がなくなっていたことも、悩みであった。
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