再編後の沿革
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台湾方面を管轄する第六基地航空部隊の主力偵察隊に位置づけられ、順次九州方面に進出している。9月1日の段階で、戦闘804飛行隊は8機が新竹に到達し、残りも鹿屋飛行場・串良飛行場に展開していた。偵察3飛行隊は8機が鹿屋に進出。進出が最も遅れた偵察4飛行隊も、陸軍都城飛行場に3機を派遣している。 昭和19年(1944年) 10月11日:南西諸島機敵機動部隊接近。戦闘804飛行隊を含む派遣隊機全機で索敵。 10月13日:沖縄小禄飛行場に1機派遣。事態は台湾沖航空戦に発展し、索敵活動に従事。 10月22日:捷一号作戦発動。ルソン島ニコルス飛行場に6機派遣。 10月24日:航空総攻撃開始、索敵に従事するが会敵せず。翌25日も索敵を継続するが会敵せず。 上記以後、ニコルスを拠点として各地で行動。「戦史叢書」には一四一空の単独活動は記述されていないが、多くの文献でマリアナ諸島・ウルシー環礁への敵情視察を実施したことが記述されている。また、22日のニコルス派遣隊以後も増援が実施されている。月光隊は夜間戦闘ではなく、敵軍への急襲・爆撃に従事した。11月28日の段階で、一四一空の稼動機は艦偵2・月光12に減少。 昭和20年(1945年) 1月8日:要員撤退のため、一航艦附属に転籍。翌日より台湾への撤退を開始。 2月5日:一航艦再編。新編の第一三二海軍航空隊要員から漏れた者は第二十六航空戦隊で訓練に従事。 5月8日:一航艦より離脱、台湾駐在のまま南西方面艦隊附属に転籍、陸戦訓練に従事。 編制から解隊までの10か月のうち、作戦に従事できたのは序盤の3か月に過ぎない。終戦をもって解散した。地上要員は台湾に撤退せず、フィリピンに残留して陸戦要員となった。海軍航空隊出身の陸戦隊員は陸軍戦車第二師団隷下で陸軍クラーク飛行場の防衛に専念した。撤退せず現地にとどまった中村子之助司令も地上戦で戦死している。台湾に撤退した操縦要員は、司令部も機体もなく、陸戦訓練に明け暮れた。
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