再編成とノルトヴィント作戦
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「第17SS装甲擲弾兵師団」の記事における「再編成とノルトヴィント作戦」の解説
師団が11月中旬マジノ線に撤退した際、その戦力は約4000人と20台の装甲車両のみであった。1944年12月の初め師団は、再補給と再補充を受けた。装甲擲弾兵連隊は民族ドイツ人の補充兵を受け完全戦力になった。これらの補充兵の質は、師団創設初期の基幹部隊のものよりはるかに下回るものであった。これにもかかわらず、書類上では、師団は1944年末時点で完全戦力に回復したとされた。SS第13軍団の一部として、師団は西部戦線におけるドイツ軍最後の攻撃作戦であるノルトヴィント作戦に投入された。師団は第36国民擲弾兵師団とともに、リムリング近傍のアメリカ第44歩兵師団とアメリカ第100歩兵師団を攻撃した。この攻撃に当たり、師団は第21装甲師団より1個パンター戦車中隊と2個38(t)火炎放射戦車中隊(第352火炎放射戦車中隊と、第353火炎放射戦車中隊)とヤークトティーガー装備の第653重戦車駆逐大隊の補充を受けた。悪天候の元で行われたドイツ軍の攻撃は支配領域を増やせなかった。1月5日G軍集団は、師団が突破した領域を放棄する決定を行った。アメリカ第44師団、第100師団、第63師団、それにフランス第2機甲師団との激しい戦闘の後、1月13日師団はウェストウォールまで撤退した。それよりさかのぼること10日、1月3日師団の士官のほとんどが解任され、翌日代わりに国防軍の士官が到着すると言う事件や、1月10日、師団の指揮官であるハンス・リンゲルSS大佐はぬかるみで車を転覆させて、アメリカ第44歩兵師団と第114歩兵師団の偵察部隊の捕虜となる事件が起こった。そのため、ゲルハルト・リンドナー(英語版)中佐が、1月15日に師団に戻ってきて、指揮をとることになった。師団は、1月25日のノルトヴィント作戦の終わりまで、アメリカ第15軍団と戦闘を続けた。
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