元禄から化政にかけてとは? わかりやすく解説

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元禄から化政にかけて

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:31 UTC 版)

表千家」の記事における「元禄から化政にかけて」の解説

江戸期表千家果した役割として茶道史上特筆すべきは、6代覚々斎以降の、町方への普及である。元禄期を頂点とする江戸中期経済実権町人握り千家例え三井家当主八郎右衛門など富裕町人大量に門弟として受け入れた。そのため、従来指導方法組織では対応できなくなり新たな指導方法組織生み出され(2)町人文化の影響受けて新たな風へと変容した。特に7代如心斎は、実弟である裏千家8代一燈宗室や、高弟である川上不白と共に時代即した風を創り出した家元として名高く千家中興称される(1)新たな組織というのが、現在の芸事一般に見られる家元制度である。家元である千家当主直属門弟稽古をつけてその分教授料を取る。直属門弟自分弟子教えて教授料を取りその一部家元上納する。その弟子は更に自分弟子稽古をつけ、授業料受け取りその一部自分の師匠に上納する仕組みで、家元頂点としたピラミッド型組織である。また家元原則として許状ゆるしじょうおゆるし)の発行独占しており、中間の師匠自分より上位師匠、さらに家元へと許状発行申請取次ぎ御礼申請のための費用)も上納する義務がある。これによって家元権威付け分派独立を防ぐと同時に組織経済的基盤確立することができたといえる。 また同じく(1)による門弟数の増加対応する新たな指導方法として七事式制定された。如心斎、一燈宗室川上不白無学宗衍堀内宗心らは、利休時代から存在していたカブキ廻り炭廻り花加え花月且座一二三いちにさん)、員(数、かずちゃ)を考案し碧巖録の七事随身の語からとって、七事式名付けた基本的に五人一組となって各人それぞれ役割割り当てられ五人一度稽古できるというものである遊戯性があり大流行した。そのために花月よばれる畳敷き一間床の広間好まれ江戸をはじめ各地写し茶室造られた。 (2)新たな風は、端的に言えば自由闊達気風吹き込まれたことである。 この7代如心斎らが行った組織改革後世千家流茶道伝え基盤整備である一方で単なる指導方法変更のみならず小規模空間小人数をもてなすわび茶世界大きく変えていくことになる。如心斎の高弟だった川上不白は、江戸へ赴き武家社会千家流をひろめ、のち江戸千家などの流祖となった8代啐啄斎のとき天明8年1788年)の大火により、表裏千家伝来道具のみを残して数々茶室はすべて焼失してしまった。しかし翌年までに速やかに再建されて、利休居士二百回忌茶事盛大に催している。こうした復興可能だったのも如心斎らによる家元制度整備によるところが大きいと考えられるちなみに三井家紀州藩であった伊勢松坂一族ルーツであり、それが縁で紀州徳川家とは強いつながりがあった。三井家惣領家柄である三井北家6代三井高祐紀州和歌山城下(西浜御殿)に招かれた際には、高祐手造りした茶碗に治宝が亀の絵を描くなどしている。治宝や斉順が下賜した茶道具類が現在三井家には多数伝わっている。

※この「元禄から化政にかけて」の解説は、「表千家」の解説の一部です。
「元禄から化政にかけて」を含む「表千家」の記事については、「表千家」の概要を参照ください。

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