川上不白とは? わかりやすく解説

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かわかみ‐ふはく〔かはかみ‐〕【川上不白】

読み方:かわかみふはく

[1716〜1807]江戸中期宗匠紀伊国新宮の人。表千家の7世如心斎の門人。師命を受け、江戸千家広め、その門流江戸千家よばれた


川上不白

読み方かわかみ ふはく

江戸後期茶人不白流の祖。紀伊国水野藩士川上五郎作の次男茶名は宗別号孤峰黙雷庵蓮花庵、俳号を不羨庵等。匠を志し、如心斎宗左の門に入る。師の許し受けて江戸住し江戸千家創設文筆俳諧能くし、著書に『不白筆記』等。文化4年(1807)歿、91才(一説89才)。

川上不白

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:58 UTC 版)

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川上 不白(かわかみ ふはく、享保4年3月3日1719年4月22日〉 - 文化4年10月4日1807年11月3日[1])は、江戸千家を創始した茶人である。名は尭達、新柳。別号に宗雪、孤峰、黙雷庵。

経歴

享保4年(1719年)、紀伊新宮藩水野家の家臣であった川上六太夫の次男として生まれた[2]

京都表千家7代如心斎の内弟子となり七事式の制定にも参画[2]。1750年(寛延3年)、如心斎の江戸で千家の茶道を広めたいという意を汲んで江戸に移った[2]。その後、田沼意次のほか大名の島津氏毛利氏らが入門するなど、不白による千家の茶道が江戸に広がると、不白は表千家から江戸千家を開いた。文化4年(1807年)、89歳で江戸の隠宅であった水野家下屋敷に置いた蓮華庵で死去した。墓所は台東区安立寺

不白と熊野

川上不白は熊野新宮の出身で故郷にたびたび帰省していた[3]。その縁で那智の滝では2008年から御献茶式が開催されている[3]。新宮市、新宮商工会議所、きのくに活性化センターでは「茶人川上不白とまちづくり」の共同事業も実施している[3]

刊行文献

  • 『川上不白茶会記集』、校訂・翻刻
  • 『不白筆記 付・孤峯川上不白道具帳写』、翻刻解説
    川上宗雪監修、谷晃編、中央公論新社、2019年。生誕三百年記念出版

脚注

  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ a b c 川上不白と江戸千家-花ひらく茶の湯の妙道- 江戸東京博物館、2021年10月3日閲覧
  3. ^ a b c きのくに活性化センター設立10周年記念誌 きのくに活性化センター設立10周年記念誌、2021年10月3日閲覧

参考文献

関連項目

外部リンク




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