家元として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 03:54 UTC 版)
観世流家元として、その勢威は「能楽界に君臨していた」と評されるほどのものであり、その急死は能楽界に大きな波紋を呼ぶのではないか、と危惧されるほどであった。 自身は家元という立場について、「代れるものなら誰かと代つて一個人として芸の勉強がしたい、などと何度考へたか分らない」と記している。煩雑な諸事に追われるのみならず、家元として、流儀の規範となるような「家元芸」「大夫芸」を目指さざるを得ないという制約もあり、「家の芸を無視した私一個の考へで名人上手になることは比較的易しいが…(中略)…その点、弟子家がうらやましくて仕方がない」と述懐している。 実弟の片山博通は、左近がその立場故に対等に話せる相手のいない孤独な存在だったと指摘し、自身も述べている「お天気」な性格で誤解されることも多かったが、実際には人の情に飢えた淋しがり屋であったとその没後に記している。
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