石川源太夫社中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 05:41 UTC 版)
江戸後期~明治初期まで太夫村と勢力を二分していた東阿倉川村(三重県四日市市)系の家元である。太夫村の家元達が増田大明神(天照大神)を祭神として斎奉するのに対し、東阿倉川村の家元達は高宮大明神(豊受皇太神荒御魂)を祭神として斎奉している。東安倉川の伊勢大神楽が衰退を始めたのを機に活動の拠点を桑名へ移し、伊勢大神楽講社の家元として増田神社の祭礼に参加している。尚、2008年に社家である石川家が伊勢大神楽講社へ名跡返還を行なった為、現在は山本勘太夫の分家が名跡を継ぎ社中を率いている。檀那場に応じて加藤源太夫・伊藤森蔵など旧名で活動を行っている。滋賀県・和歌山県・大阪府・三重県を檀那場としている。
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