太夫村
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寛政9年(1797年)上梓の『伊勢参宮名所図会』巻之三に「太夫村」に関する記述があり、「桑名の近村なり。このところより代神楽獅子舞六組、また三重郡阿倉川村より六組、巳上十二組出づる。諸国竈祓いをなす。故に太夫村といふ」と記されている。太夫村の開発は山本十右衛門・山本市太夫の二名によって慶長年間の前後に開発されたと伝承されている。尾張国津島神社の御師である師職三十戸と大神楽を生業とする神楽職十二戸の全四十二戸の村であった為、桑名藩主松平定綱(在任1635年 - 1651年)が村名を太夫村と名付けた(開発初期は上上野村の名称で呼ばれた)。
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