元禄の修陵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:05 UTC 版)
水戸藩主の徳川光圀は元禄期に幕府へ陵墓の修理を願い出たが許可されず、代わって幕府が1697年(元禄10年)~1699年(元禄12年)に修陵を行った。その報告書として細井知慎『諸陵周垣成就記』がある。 1772年(明和9年)に飛鳥・吉野を旅した本居宣長は、その旅行記『菅笠日記』のなかで、元禄以来二十年に一度ほど陵墓の修理や調査が行われていることに言及している。
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