元禄の事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 15:08 UTC 版)
元禄時期の事件として赤穂事件が有名であるが、この事件の経緯の中に、当事者の一人である吉良家が本所の屋敷に引っ越しを命じられる、という一件がある。吉良家が新しい屋敷として拝領したのは松平登之助(松平信望。旗本5千石)の元屋敷であったが、直前まで住んでいた松平が転居を命じられた先が、江戸下谷の町野酒之丞、つまり幸重の元屋敷であった。松平は数年前の江戸の大火(勅額火事)で神田佐久間町の屋敷を焼け出され、替地として本所に土地だけを与えられた、と記録されているので、そこに新たに屋敷を造営して、僅か数年で転居させられたことになる。時系列で並べると、以下のようになる。 元禄14年(1701年)8月5日、町野幸重(4千500石)、改易処分となった。 8月12日、松平信望(5千石)が下谷の町野幸重の元屋敷を拝領し、本所の屋敷から退去した。 8月19日、高家旗本の吉良義央(4千200石)が松平信望の本所の屋敷を拝領し、呉服橋の屋敷から同地に転居した。 結果論ではあるが、町野の改易が無かった場合、吉良家の移転先は別な場所であった可能性がある。本所の吉良屋敷のたまたま隣家であった福井藩御付家老本多長員の家臣に、偶然にも討ち入り実行グループ(いわゆる赤穂浪士)の親族がいた。グループはこの親族を通じて、現場となる吉良家の屋敷の図面を入手しまた吉良家の日常の動向の情報を得ていた、と伝わるが、吉良家が別の屋敷に移転していた場合、これら討ち入りに必要な下準備、情報収集が不可能であった可能性が出てくる。
※この「元禄の事件」の解説は、「町野幸重」の解説の一部です。
「元禄の事件」を含む「町野幸重」の記事については、「町野幸重」の概要を参照ください。
- 元禄の事件のページへのリンク